「女性セブン」2006年8月24日発売
 
命をみつめる夫婦インタビュー
突然の告知、入院。がん対策基本法せいりつのため、自ら病名を公表ーー
   

山本孝史議員(57)ゆき夫人(55) 

夫のがん ふたりきりの闘い153日

   
   

自分が、そして家族ががんに罹ったらーー誰しもが最善の治療を受けたいと願うのが当然だか、死因の3分の1を占めるにもかかわらず、この国の医療制度は決して患者本位のものではない。その中で、ひとりでも多くの患者の命を救いたいと法案成立に尽力した山本孝史議員は、国会の場で自らがんを公表し、訴えた。

 今年6月、国会で「がん対策基本法」が成立し、ようやく国を挙げてがん対策に取り組む姿勢が打ち出された。実は、この法律は直前まで成立が危ぶまれていた。それを一変させたのが、山本孝史参議院議員(57才・民主党)のがん告白だった。
 「私事で恐縮ですが、私自身がん患者として、同僚議員を始め多くの方々のご理解ご支援をいただきながら国会活動を続け、本日質問に立たせて頂いたことに心から感謝しつつ(中略)質問いたします」

 5月22日、参議院本会議の質問に立った山本議員は、こう切り出した。それまでざわついていた本会議場が一瞬静まりかえった。政治家が国会の場で、自分ががん患者であることを公表するのは異例のことだったからだ。
 「がん患者は、がんの進行や再発の不安、先のことが考えられない辛さなどと向き合い、身体的苦痛や経済的負担に苦しみながらも、新たな治療法の開発に期待を寄せつつ、一日一日を大切に生きています」 

 
一言一言を心に刻みつけるように話す山本議員が質問を終えると、議場内から拍手が沸き起こった。議員の中には涙ぐむ者もいた。この勇気あるがん公表がきっかけとなって、議員の間に法案可決への動きが一気に高まったという。

  日本人のがん死亡数は年間約32万人、3人に1人ががんで命を落としている。中でも40代、50代の働き盛りの患者が目立ち、経済的に困窮する家庭も多い。にもかかわらず、日本のがん治療は必ずしも患者の立場を第一に考える体制にはなっていない。病院や地域により治療に大きな格差があり、患者や家族の精神的サポート体制や緩和医療も充分とはいえないのが実情だ。
 
「もう治療法がない」などといわれて病院から見放された「がん難民」もたくさんいる。

 山本議員が成立に力を注いだ「がん対策基本法」は、これらの問題をできるだけ解決し、がん患者誰もが等しく適切な治療が受けられるようにしようという目的で作られた法律だ。何よりも患者の目線で治療体制を整備しようという姿勢がはっきりと打ち出されている。

  例えば患者、家族も参加する「がん対策推進協議会」を作り、がん対策に患者側の意見を反映させる、専門医の育成、検診方法の改善、患者への情報提供の充実などが盛り込まれている。

 「自分の病気という私的なことを公的なところでいっていいのかと悩みました。法律を通すために病気を利用してようやるわというふうに受け止められるかもしれない。でも、この法律成立のために活動して志半ばで亡くなった患者たちからバトンを受け取った一人として、できるだけ多くの議員たちに法律の重要性を理解してもらう使命があった。そのためにも、自分の病気に触れたほうがより聞いてもらえるだろうと公表を決意したのです」
 政治家にとって、時には政治生命を失いかねない病の公表に踏み切った理由を山本議員はこう話す。

 草の根活動を大切にする山本議員の政治姿勢は、大学時代のボランティア活動によって培われてきた。大阪出身の山本議員は、5才のときに2才上の兄を交通事故で失った。その体験がきっかけとなり、大学時代から交通遺児の支援活動に携わり、交通遺児育英会に入局。93年、旧大阪4区から日本新党公認で衆議院選挙に出馬し、初当選。以後、薬害エイズ問題、臓器移植、難病、年金問題、自殺対策などに取り組み、常に社会的弱者側に立った政治活動を続けてきた。秋田生まれの妻・ゆきさん(55才)とは友人の紹介で、82年に結婚、子供はいないが、「『いのちを守る』、それが政治家の仕事」という山本議員の信念を、ゆきさんが陰ながら支えてきた。

「ゆきは病気と結婚したようなものだね」

 そんな山本議員にがんが発見されたのは昨年12月のことだった。

 「若いときに潰瘍性大腸炎を患い、しばらく検査していないので血液検査したところ、翌日に、副院長からすぐに病院に来て下さいと電話があったのです」(山本議員)

 腫瘍マーカーの数値がはね上がっていた。すぐに、エコーとCT撮影が行われる。
 
「CTの写真を見ながら、先生がこんな影があるんですよっていうわけです。目の前の写真を見て、自分でもはっきり確認できました。来るべきものが来たと思いましたね」(山本議員)

 胸部にがんがあることがわかったのだ。身内にがん患者がいたこともあり、ある程度の覚悟はできていた。

 ゆきさんは大阪の自宅で、夫の口からがんを知らされた。
「彼は結婚したときから潰瘍性大腸炎を患っていました。その後、腎結石、ぜんそく、鼻の手術。でも今回はいままでとは違う。“ゆきは病気と結婚したようなもんだね。ごめんね”といわれました」(ゆきさん)

 確定診断を待つ年末年始の間、山本議員はがんに関する本を読んだりインターネットで情報を集めた。それまで国会で、医療問題に取り組んできたが、自分ががん患者になって始めて、本当に必要な情報を得ることが難しいことがわかったという。
 
「がんがこれだけ身近になっていても、がんに対する知識ってほとんどない。患者側が知識で防衛する必要性を実感しました。だからこそ、誰もが正しい情報をより簡単にアクセスできるように整理しないといけない」(山本議員)

 1月19日、東京のがん専門病院に入院。診断の結果、手術や放射線治療は難しいということで、抗がん剤治療が開始された。
  「彼はどこで治療をするか悩んでいました。私のことを考えれば大阪がいいし、彼が仕事をするには東京のほうがいい。私は“いまがんになったのは、あなたががん患者の国会議員としてやるべき使命があるから。任期をまっとうするまで東京で仕事をしてください”と。なんとしても生き甲斐をなくしてほしくなかったんです」(ゆきさん)

 夫が使命感を持って仕事に専念できるようサポートすると決めたゆきさんは、大阪から東京に拠点を移した。しかし抗がん剤治療の副作用で、山本議員の体調はどんどん悪化していった。
 
「いつも活発な彼が、足がしびれてまともに歩けない、髪は抜け、貧血でやせてくるし、もうこのまま寝込むんじゃないかと心配で、陰で泣いてましたね。彼の世話をするのは私ひとりしかいませんし、とにかく自分が倒れてはいけないと、必死でした」(ゆきさん)

 2回目の抗がん剤治療の副作用に苦しむ中、山本議員は自分を励ますつもりで「一日一仕事」と書いた紙を部屋の壁に貼った。
  「本当につらいときは、私が無造作に脱ぎ捨てたスリッパを直すことが一日一仕事の時もあったんですよ。それはほんと、泣けてきました」(ゆきさん)

 また、あしなが育英会の機関紙のコラムには「一日一生、一日一善、一日一仕事」という題名の文章を寄せた。
 
「今日一日かなとか思いながら、一日一生という思いで生きている。どんな小さなことでもいいから、ひとつでいいから、良かったと思えることをしたい、そんな気持ちを込めたんです」(山本議員)

 落語や文楽好きの山本議員だが、チケットを買ってももう行けなくなるのではないかーーそう思うこともあるという。財産を整理してゆきさんに見せたこともあった。

親にさえいえなかった病名

 しかし、ゆきさんがもっとも辛かったのは、国会での公表まで、友人や身内、自分の親にさえも夫の病名を打ち明けることができなかったことだという。政治生命を失う不安以上に、自分たちの判断で公表し、これまで応援してくれた支持者たちに心配をかけるのではないか、という思いがあったからだ。
 
「本当に孤独でした。ひとりで悶々と悩んでしまって。
 
病院で患者・家族の勉強会があって、救いを求めて行ったら、そこはがんの種類や生存率などを医学的に勉強する場で、手術ができる早期の人ばかりでした。その人たちの話を聞けば聞くほど落ち込んで、途中で出てきてしまいました。必要なのは心のケアとか、食べ物や免疫力を高めるアドバイスでした」(ゆきさん)
 
その体験から、患者の家族に対する支援システムの必要性を痛感しているという。

 誰にもいえないという悩みは、山本議員も同様だった。
 
「やせたり、かつらをかぶっている姿を見ると、国会議員のあいだでも、おかしいと思いながらも、気を使って何も聞かないわけです。それが自分のストレスにもなっていました」(山本議員)

 告知から153日。がんを公表した5月22日は、抗がん剤の副作用がもっともきつい時期だった。
  その後、副作用の少ない治療法に変えると、山本議員の体調は見違えるようによくなっていった。夏休み中の今も東京に残り、週一回の抗がん剤治療を受けながら、成立した法律がきちんと運用できるような環境づくりに没頭している。寝る間も惜しんで勉強する山本議員を、ゆきさんは見守りつつサポートする。前出の本会議での質問原稿にも、ゆきさんは目を通した。

 「私が理解できなかったら他の人も理解できないはず。私の胸にすとーんと落ちないところは、表現を変えてもらって」
 
そう話すゆきさんに、すかさず山本議員が答える。
 
「彼女はいちばん怖い有権者。すごい助っ人、力強いパートナーです」
 
顔を見合わせて笑うふたりから、互いへの信頼感と思いやりが伝わってくる。       

 山本議員は「進行がんの患者として、また国会議員として」がんと共存しながら、日本のがん医療を患者本位のものにするために精力的な活動を続けている。
  「それが自分の使命。ただ、取り組んできた中国残留孤児、年金、医療過誤などは残念ながら時間が足りない。がんが片づくまでごめんなさい、と思っています」(山本議員)

 生きがいをもち続けることで免疫力が高まり、がんが消える例も報告されている。しかし、一方で生存率の低さや転移の可能性…勉強すればするほど怖くなる。
 
「それを覚悟しながらも、前を向いて“一日一仕事”を実践していきたい」
 
そう話す山本議員の横で、ゆきさんがうなずいた。


5月22日の参院本会議で自らのがんを告白し、法案私立を訴えた山本議員。

 

 

 

 


副作用が少なくなってきた7月には、夫婦で朝顔市へも出かけた。

 

 

 

 

 


93年に日本新党から出馬、初当選。以来、薬害エイズ、年金、自殺問題などに取り組んできた。

 

 

 

 


’98年、兵庫県芦屋市内の公園で

 

 

 

 

 

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