<Medical Research Information Center (MRIC) メルマガ 臨時 vol 28>  2006年9月16日発行

MRICインタビュー vol16
               聞き手・ロハスメディア 
               http://www.lohasmedia.co.jp 川口恭

     〜 当事者として国会にがん患者の声届けたい 〜

――ロハス・メディカル8月号誌上で鈴木寛参院議員が、がん対策基本法に関して「途中、今国会での成立が危ぶまれましたが、民主党の山本孝史議員が5月22日の参議院本会議で自らがん患者であると告白し、同法の速やかな成立を訴えたことが流れを変えました」と書いています。本日は、どういった経緯で告白するに至ったのか教えていただきたいと思って参りました。まず、がんが分かったのはいつのことですか。

 私はもともと色々な病気持ちでして、昨年の12月末に地元の大阪でちょっと検査を受けてみたんです。そうしたら腫瘍マーカーの値が高いからと精密検査を勧められ、それで分かりました。

――定期的な検査だったのですか。

 いえ、偶然です。定期的な健康診断は毎年4月に国会の医務室で受けています。昨年4月の時点では何も異常は見つかりませんでした。年末も特に自覚症状はありませんでした。

――診断を聴かされた時、どんなことを考えましたか。

 不思議と冷静でした。レントゲン写真を見たら、素人でも分かる影がありまして、来るものが来たか、覚悟せざるを得ないな、そんなことを考えました。自分にできることは、とにかく治療を受けることだよね、と。

――ホームページなどで「進行がん」という表現をお使いになっていますね。

 自分の支持者や知り合いにショックを与えたくないので「進行がん」という言葉を使っています。がんについて詳しい人なら、手術すれば済むような状態でないことはわかると思っています。

 医師に「これからどうしますか」と聞かれたので、「国会議員の活動を続けられる限り続けたい」と伝えました。「では東京で治療した方がよいでしょう。治療のために往復するのは大変だから」と言われて、東京のがん専門病院で1月から4クールの最大投与量での抗がん剤治療を始めました。

 抗がん剤の副作用である骨髄抑制が進んで、4クール目後に、1か月以上の休薬期間が必要となりました。その間に腫瘍マーカーの値がどんどん上がっていきます。病院としては、抗がん剤の最大量投与と休薬期間のパターンを、別の薬で続ける方針でしたので、6月の始めに病院を変えました。今は、骨髄抑制があまり起こらずに生活の質を保てるような抗がん剤治療を週1回行っています。参院本会議があったのは、ちょうど4クール目を終えて、やつれた表情をしていたころでした。

――本会議で代表質問に立ったのは、どういった経緯からですか。

 ここ数年、年金や介護保険など社会保障制度に関する法改正が続いてきました。今年は高齢者医療費の抑制に焦点を絞った健康保険法の改正案を政府が提案しました。これをそのまま通したら、高齢者を見捨てる「姥捨て山」のようなことが起きるだろうと思いました。

 私は平成5年に衆院議員になってから参院と合わせて13年、社会保障政策を主にフォローしてきました。健康保険法の改正も何度も経験しています。「医療制度改革」の歴史を振り返りつつ、医療費抑制策は本当に選択として正しいのか、質問するなら自分しかいないだろうという自負がありまして、それで代表質問をやらせてほしいと手を挙げたんです。私は来年が改選期でもあるので、一つの締めくくりの質問になるかもしれないな、という思いもありました。

――健康保険法の審議で「がん」を告白したのはなぜですか。

 がん対策に日本の医療の問題が集約しているから、ということになりますが、もう少し内幕を説明しましょう。

 がん対策基本法は4月に民主党が法案を提出して、当初は政局がらみで審議に入れないかと思われていましたが、その後、5月23日に与党案が出ると決まりました。私の代表質問は、その前日の22日です。実質的会期末が6月16日に迫っていて、正直、法案を一本化して通すのは難しい状況でした。しかし、この国会を逃すと成立は丸々1年遅れてしまいます。しかも、熱が冷めてしまったら次の国会でも確実に成立するとは限りません。少なくとも一本化には成功するとか、衆院だけでも通過するとか、動きを作り出したかったのです。

 そのためには、議場の仲間たちに理解と協力を求める必要がありました。その際、自らがん患者であることを明らかすべきかどうか迷いました。公表した方が議員たちの耳に届きやすいのかなと思いました。そして公表せずに、結果として法案が成立しなければ、後悔するだろうとも思いました。5月の連休明けには、公表しようと腹を固めていました。

――支持者には相談されたんですか。

 実は、支持者や親類には、がんを患っていることすら知らせていませんでした。その意味で、テレビや報道を通して知らせるのでは順序が違うだろうと躊躇する気持ちも若干はありましたが、託された「バトン」に応える方が先だと思いました。

――バトン。

 自らもがん患者として、患者会の活動をリードしてこられた三浦捷一先生や佐藤均さんが亡くなられ、私は彼らからバトンを渡されたように感じるのです。佐藤さんは昨年の6月28日に、三浦先生も、私のがんが見つかった12月20日に亡くなられたと後で知りました。がん患者の声を政治や行政に届けるリーダーがいなくなっていました。

 肝臓病や腎臓病、小児特定疾患や薬害エイズなどは患者団体が活発に活動していましたけれど、がんに関しては昨年5月に大阪で開かれた「がん患者大集会」まで、当事者としての動きがなかったと思うのです。おそらく、がんの部位ごとに患者や家族の要望や思いに違いがあることで、まとまって声を挙げにくかったのでしょう。そんな中で、三浦先生や佐藤さんが患者自身として声を挙げ、未承認薬の早期使用解禁を訴えました。そして、それによって頑なだった行政も動いたわけですね。でも、残念ながらお二人ともなくなってしまいました。

 ちょうどそんな時に国会議員である自分が進行がんということが分かり、ある意味、与えられた使命というかバトンを託されたというか、そんなふうに感じて、自分にできること、自分にしかできないことがあるのではないかと考えたのです。4年前の健康保険法改正の時は、今井澄先生(元諏訪中央病院院長、故人)が民主党から代表質問に立ちました。今井さんも、その時、がんでした。

――がん患者さんたちとの接点はいつごろからでしょう。

 自分ががん患者になるとは思っていませんでしたし、佐藤さんや三浦さんが熱心に国会請願をかけていた時期、私は落選中ということもあり、直接の接点はありませんでした。患者大集会も、地元の大阪であったにも関わらず、テレビで見たくらいで足を運んではいません。自分自身が病気になってから、がんとはどういうもので、がん医療に何が足りず、何が問題なのか並行して勉強したような次第です。5月に公表してからは、患者さんたちと接触を持ち、一緒に活動させていただいています。

――永田町の反響はいかがでしたか。

 本会議場では、持ち時間の15分を超えて、18分くらいまで質問しました。普通なら議長に制止されるところなんですが、扇さん(扇千景参院議長)は最後までやらせてくれました。小泉首相もいつになく丁寧な答弁でしたし、声が届いたという感触はありました。

――話は戻りますが、なぜ支持者に知らせなかったんですか。

 知らせても心配させるだけでしょう。東京で治療しているのに、お見舞いに来られても困りますし。「がん」という言葉のイメージが独り歩きすると言いますか、これだけ一般的な病気になったにも関わらず、一般の人で「がん」を正しく理解している人は少ないと思うんです。「がん=不治の病」で死期が迫っていという理解になりがちですよね。それは私の支持者だって同じです。実際にはすぐに死ぬわけじゃないし、治療法が日進月歩で、いろいろと選択肢も増えているのに、それを分かっているのは患者本人か、現在身近に患者を抱えている人だけだと思います。かつて身近に患者さんがいたという場合、知っているようで実は当時の悲惨な印象のまま止まっているという場合も多いのです。

 しかし、実際には私のようにまだいろいろな仕事をする時間も体力もあるわけで、一般の方にイメージを変えてほしいと思うんですね。患者さん自身も下を向くというか、フッと落ち込みがちだけれど、上を向いて前を向いて生きていけば、そのうちに新しい治療法が出てくる可能性もあるわけで、私の前向きな姿勢を見てもらうことで励ましになればと思います。その点、国会議員という公人だと言動が伝えられやすい面はありますね。

 もっとも私自身、5月22日を過ぎて、やっとこんな風に考えられるようになったんですけどね。

――社会保障をずっとやられてきたということですが、現在の日本の医療制度について、どのような問題意識を持っていらっしゃいますか。

 今のような医療費抑制の流れが続くと、自己負担が増えたり、混合診療の範囲が広がったりするのは避けられないですよね。そうすると、お金を持っている人と持っていない人で、受けられる医療の差が大きくなって、国民皆保険は名ばかりになってしまいます。

 一方で欲の深い医療者もいるので、医療費のチェックもしないといけないのですが、医療の水準を高めていくためには一定の負担も必要であることについて、どのようにコンセンサスを作っていくのか。若い人たちの命に対する考え方も昔とは変わってきているように感じますし、しかし何らかの着地点を見出さないといけないと思います。そうしないと日本の医療が崩壊してしまうと感じています。

 患者の権利とか医療安全とか最近言われるようになってきていますが、厚生労働省の今までの政策は、医療保険財政の破綻をどうすれば避けられるかという話に終始していて、医療の水準をどう上げるのか、の視点が全くなかったと思います。そうこうしているうちに地域医療は崩壊しつつあるわけです。当面の策として、医療資源の集約化はある程度止むを得ないとしても、今回の大改正については、議論が深まったとは思えないのです。このまま進むとどうなるのか危機感の共有ができていないのは非常にマズイと思います。

――危機感の共有というのは、患者、医療者、行政、政治の間ということでしょ
うか。

 役所の中ですら共有されていないと思います。厚生労働省の中も保険局・医政局・健康局・医薬食品局などのタテ割りで、それぞれ思惑が違います。医師の養成を行う文部科学省との連携も全然なされていません。医療の半分は人件費なのだから、医療者をどう育てどう配置するのか大変大きな問題のはずですが、そこが両省で一致していません。

 危機感の共有がないので、三位一体改革も含めて、国もお金がないという状況の大波を一番かぶっているのが、いのちを守る医療なのではないかという気がしています。

――来年が改選期というお話でしたが、どうされますか。

 党本部へ公認申請しました。現在は預かり中です。「がんを抱えていても出馬できる」というくらい頑張りたいし、そこまでの体調に持ち込みたいと思っています。

――大阪は激戦区なんですよね。

 はい。その上に複数候補の擁立だから大変なんですよ。片方の方へは既に公認が出ています。共倒れせんようにしないと。

――患者さんにとって、議員を続行していただければ励みになりますよね。

 もちろん選挙というのは健康な人でさえもシンドイので、その時になって私の体調が許すのか分かりません。しかし何でもそうなんですが、当事者でないと分からないことがあるんですよね。国を動かそうと思ったら国会に働きかける必要があります。そのとき、議員たちが聴く耳を持ってくれるか分からないし、持ったとしてもやはり当事者の切迫感からは遠いんですね。自分自身の事を振り返っても、そう思います。その点、当事者が国会のなかで直接発言できるというのは大きいです。その期間を、少しでも長くしたいという思いがあります。