NPO法人生と死を考える会 会報 NO.104 (2006年9月30日発行)
 
会員を訪ねて いのちに向き合うD

「今、自分に与えられた仕事として」
       山本 孝史さん(参議院議員)
 

 去る五月二十二目、参議院本会議で、山本孝史さんは、小泉総理らに対して、代表質問をされました。冒頭、「私事で恐縮ですが、私自身、がん患者として、同僚議員はじめ多くの方々のご埋解ご支援をいただきながら国会活動を続け、本日、質問にも立たせていただいたことに心から感謝しつつ、議題となりました二法案について質問いたします」と述べられ、健康保険や医療についての質問をされました。最後に、がん対策基本法と自殺対策推進基本法について、その必要性を述べられたうえで、「年間三〇万人のがん死亡者、三万人を超える自殺者の命が、一人でも多く救われるように、がん対策基本法と自殺対策推進基本法の今国会での成立に向けて、なにとぞ議場の皆様のご理解とご協力をお願いいたします」と締めくくられました。

  山本さんの質問については、テレビ・新間がいっせいに報じたので、ご覧になった方も多いと思います。この質問がきっかけになって、成立があやぶまれていたこの二つの法案は、可決成立しました。新聞各紙は、「がんを告白し、医療政策充実を訴える」(読売新聞)、「がんを公表した民主党参院議員」(朝日新聞)、「切実な患者の思い 対策法制定に尽力](目本経済新聞)などと題して山本さんを紹介し、「政治家が自分の病名を公表するのは異例。…(中略)…質問が終わると、議場には拍手がわき起こり、涙ぐむ議員もいた。」(日本経済新聞)。「党派を超え、「山本さんの願いをくみ取りたい」と歩み寄った結果だった。」(読売新聞)などと伝えています。

  山本さんは、本会の、古くからの会員です。ぜひお話をうかがいたいとお願いして、お時間をいただきました。取材には、広報委員四名のほかに、カメラマンとして岩川さんのお父さまが同行してくださいました。場所は永田町の参議院議員会館。古めかしい建物を入り、入館申込みをしてガードマンに許可証を提示し、空港にあるような金属探知器をくぐってエレベータに向かいます。なんだか緊張します。

  でも、お部屋では、山本さんが、おだやかな笑顔で迎えてくださいました。進行がんとうかがっていましたが、お顔の色もよく、その目には優しさと強い意志の力が感じられます。ゆっくりとお話をうかがいました。

−お顔の色がとてもよいようですが。

  「腫瘍マーカーの数値もがんの大きさも変わっていないのですが、病院を変わって、治療方法が変わったからだと思います。

  最大効果を狙って、抗がん剤を最大量投与すれば、当然、副作用も大きくなります。今は、効果よりも、むしろ、QOL(quality of life)を高めるということを大切にした治療を受けています。国会で質問をしたころは、体調は最悪だったのですが、今は、こうして毎日仕事をすることができているんです」。

−HPで質問の原稿を読ませていただき、とても感動しました。ずっと、交通遺児の育英会の仕事をされ、議員になられてからは、薬害やがん、自殺の問題に取り組んでこられ、まさに生と死にかかわるテーマで活動してこられました。

  「HPのプロフィールは、万が一のとき、「どんなやつやってん」というのがわかるように、最近、写真も入れてつくり直したんです(笑)。

  私か五歳のときに、当時八歳だった兄が、家の前で交通事故で亡くなりました。自分はまだ幼稚園に入る前でしたけれど、いつもいっしょに食卓を囲んでいた家族がいなくなると、家の中にそこだけぽっかり穴があいて、心にも穴があいたような感じでした。母がずっと祭壇の前でお経をあげていた姿を、今も鮮明に覚えています。

  大学生のとき、いろいろなボランティア活動をしている中で、交通遺児育英募金を手伝い、交通遺児の作文集『天国にいるお父さま』を読んだんです。自分は兄を亡くして、それまでとは、家の中も自分の人生も、ずいぶん変わりましたが、父親や母親を亡くした家庭はどんなに大変だろうと思いました。「大阪交通遺児を励ます会」というのをつくって、その活動に没頭し、卒業後も交通遺児育英会に就職しました。その後、アメリカのミシガン州立大学に留学して、家族社会学を学びました。「死の教育」の講座も受けました

  もともと、ホスピスや終末期医療など、生と死について考え、死生観というようなことに強い興味があったので、帰国し復職後も「死の臨床研究会]や「医療と宗教を考える会」などにも参加し、勉強をしていました。「生と死を考える会」に入ったのもこのころです。

  その後、国会議員に立候補し、思いがけず当選したんです。それからは、医療、年金、福祉、介護などの問題に取り組んできました。

  せっかく授けられた命が、交通事故や災害、戦争など人為的なことで絶ちきられてしまうのは、社会や行政、政治に、何か足りない部分があるのだと思います。それをおぎなっていくのが政治の一番の仕事だと思っています。

  そう思ってずっと仕事をしてきたのですが、今回は、自殺とがんの問題で、法案が成立し、よかったと思っています。
  でも、がんの法案は通ったのですが、まだ、がんについて、イメージが変わっていないと思うんですね。そのイメージを変えたいと思っています。

  私のがんが見つかったのは去年の暮れだったんですが、まわりの方に心配をかけてはいけないと思って、知らせていなかったんです。そして、あの質問のときに公表したのですが、その後、何人かの患者さんから、「ぜひがんばってほしい」。「とても勇気づけられました」。「がんでも、いろいろできるんですよね」というようなことをいわれたんです。

  進行がんや末期がんの患者は何もできずに横たわっているだけというイメージを変えて、人は最期まで、何かができる、何か働きかけていけるということを伝えていきたいのです」。

―がんの患者さんに対するまわりの目というのは、高齢者に対するものと、共通するものがあるような気がしますね。

  「そうですね。お年よりは長生きをすると家族に迷惑をかけていると思ったりしてしまいます。でも、ほんとうはご自分が思っておられる以上に、まわりに喜びであったり、いろいろなことを伝えているのですね。生きていることそれ自体に価値があるわけです。

  お年寄りが病気になると無駄な医療費だというような考え方があります。臓器移植に際しては、臓器提供者の治療より臓器獲得が優先されてしまうことがあります。そういう考え方に、いかに歯止めをかけるか、「いのちの大切さ」というようなことを、もっと政策順位の上の方におかなくてはいけないと思います。とくに、若い世代に、「生きていること、そのことがとても大切だ」ということを伝えたいですね」。

―緩和ケアの専門医の制度ができたという報道がありました。

  「今まで、ホスピス、イコール死に場所というイメージがありました。そして、じつはそこでは、何も治療をしないという場合もある。そうではなくて、ホスピスは通過点、止まり木のようなものであってほしいと思います。最終のターミナルとして、痛くなってからかかるのではなく、最初から緩和ケアのチームがかかわり、痛みのコントロールも考え、つらくなったら痛みを取り、QOLを上げて自宅なりで過ごす。そんな形が必要なのではないかと思います。

  また、患者どうしの交流は病室から始まると思いますが、病院に、患者や家族のサロンがあったり、できればなくなった人の家族も含めて交流できる場所や、サポートできるシステムがあればと思います」。

―自殺の問題にも、取り組んでこられましたね。

  「私自身、検査のデータが悪かったり、副作用で体調が悪かったりすると、気もちのレベルが下がるんですよね。そんなとき、自分を元気づけられるのは、仕事などでこれをやらなくちゃいけないという思いや、期待されていると思えることです。私のまわりでは、今までがんの問題に取り組んでこられた方たちが亡くなられ、私ががんになったことで、「これでバトンタッチできる」といわれたりします。私の主治医なんて、「私が治療するのは、あなたががんばって発言してくれるからなんだから、発言しないなら治療しない」なんていうんですよ(笑)。「それはおどしですか」っていうんですけど(笑)。

  まあ、そういって期待してくださる方たちがいることで、冷たい数字を見るときに、「やっぱりがんばらなくちゃいけないんだよね」と思える。そういうものが必要だと思うんですね。

  今、若い人たちに、生きる意味や生きがいを感じてもらうには、どうしたらいいのかがよく見えないんです。ストレス社会の中での閉塞感があり、生きがいを持てない状況。

  先日も、小学校の新任の先生が二人、相次いでみずから命を絶たれました。保護者からのすごい圧力があるのですね。

  子どもたちのあいだにも、目立つことをしない、いじめられないようにとみんなが縮こまっている。そんな状況があるとすれば、学校の中からも外からも変えていかなければならない。自由にエネルギーを発散できるような、失敗を恐れないような、そんな社会全体のしくみが必要だと思っています。

  自分がここにいるのは、二人の親があって、それぞれ思いをこめて育ててくれた、いのちが受け継がれているという「いのちの実感」みたいなものを感じてほしいと思います。

  そのためには、たとえば、クラスで飼っている魚やウサギが死んだときに、どう受け止めるのか、とか、食物や動物をいただくのは、いのちをいただくということだし、みんなで植えたアサガオが花を咲かせ、やがて枯れていくことなど、いのちの尊さを実感できる場面はたくさんあるはずなのに、なかなかそれができない。そういう指導を、熱心に研究している先生もおられるけれど、そういう感性をもっている先生ばかりではないというのも現実でしょう。

  今は私自身、神のみぞ知るという世界にいるので、やれるときにやれることをやっておかなければという思いがあって、いろいろやりたいことはあるんですけれど、他のことはストップして、がん対策と自殺対策の基本法ができたので、今は、それがうまく動いてくれるようにということに力を注いでいきたいと思っています。

  それから、もうひとつ自分の仕事だと思うのは、がん治療の質を高めるための仕事です。 今まで、ずっと医療や福祉のことにかかわってきましたが、自分ががんになるまで、がんについてよく知らなかったということを感じました。がんは、とても身近な病気なのに、実情は知られていないと思います。

  今はいい薬もたくさんできて、副作用や痛みのコントロールもできるようになっています。私は進行がん患者ですが、それでもこうやって日常生活ができる。いろいろな薬を組み合わせて、手を変え品を変え使う。ひとりひとり個性がちがうように、がんもみんなちがう顔をしています。だから、その人に合う治療法を、ていねいに探していく必要があるんです。ひとりひとりの患者の調子に合わせて、微妙なさじ加減をしながら処方するという、細かな医療をすることで、患者のQOLは高まります。

  患者の満足度は、どれだけ延命できたかではなく、どれだけきちんとした治療を受けたか、がん告知から最期まで、どれだけ充実したと思える時間が過ごせたかで決まると思います。

  でも、そういう医療をすると赤字になる。そのために、大きい病院ではとくに、「うちでは治療法がありません」といわれ、「がん難民」が生まれてしまう。もっと、患者ひとりひとりの体調に合わせた治療ができる仕組みにしたいと思っています。そのためには、国民ひとりひとりに、そういう仕組みが必要だと思っていただかないと変わらないわけです。

  そういうことを、自分の体験をふまえて伝えていくことも、たまさかこういう病気になった私に与えられた仕事だと思っています」。

―今日は、長い時間、どうもありがとうございました。

 お礼を申し上げて、おいとましました。山本さんは、ときどき咳をされ、少しお疲れのご様子でしたが、その瞳には、変わらない輝きがありました。
(まとめ:広報委員 野見山ふみこ)

山本孝史さんHP
http://www.ytakashi.net/

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