The Wall Street Journal (2007年1月11日)

日本の「がん難民」 多くの選択肢を求む

がん患者 医療費抑制のため選択を厳しく制限する国民皆保険制度を批判

  ピーター・ランダース  英語版

(イラストはランダース記者が昨年の7月3日に取材に来たとき写真を撮り新聞社が似顔絵にしたものです)

 

 昨年5月、小泉総理大臣が見つめる中、山本孝史参議院議員が、本会議で質問に立ち、同僚議員に自分はがん患者であることを公表した。そして、日本で行われている一般的ながん治療を批判し「まだ、治療法があるのに、患者はよくなる見込みはないと医者に言われている。これら見捨てられたがん難民は日本列島をさまよっている」と言った。

この演説が国会に衝撃を与えた。それまで、国会はがんの専門医を増員し、がん患者のための国の責任ある役割を盛り込むがん法案の成立に乗り気ではなかった。4週間後、法案は成立した。

 日本のがん患者の間には、アメリカ流の治療や薬を求める運動が広がりを見せており、法案成立はこの運動の見事な勝利であった。しかし、よりアメリカ的医療をという考え方に、国会議員は警戒心を抱く。日本では、国民皆保険制度を採用しており、医療費の請求書のほとんどを国が支払っているからである。

 最近まで、厚生労働省の健康局長だった中島正治氏は、日本は、すでにすばらしいがん治療を提供していると言う。日本が抱える巨額の負債と増税を心配する企業のことを鑑みると、日本には平均余命を上げる確たる希みのないがん治療や医師の研修にお金をつぎ込む余裕はないと言う。

 「今の状況が続けば、日本は医療費で潰されてしまう」と、役人になる前に、がん患者を治療する外科医であった中島氏は言う。「アメリカはがん専門医に関しては行き過ぎており、そのために医療費が膨らんでいる」と彼は指摘する。

 近代医学が金を出せばいくらでも治療法を提供する時代である。日本では、政府がどこで線引きするのかが議論となっている。アメリカでは、民間の保険会社もメディケアのような公的プログラムも比較的に寛容な見方をしており、患者が助かる希望があれば、たいていの場合、その治療費は支払らわれる。日本の場合ははるかに厳格である。日本における年間の医療費は、経済規模を調整した率でいうと、粗い計算ではあるがアメリカの支出の半分である。

 また、日本の医療費は、おおかたの西洋諸国とカナダよりも低い。それが国民を苦しめているとしても、統計上からその証拠を見つけることはむずかしい。日本女性の平均寿命は世界一(男性は4位)であり、乳幼児の死亡率も世界で最低の国の一つである。

 多くの国が、コストを抑制しながら治療をどのように改善するか苦心している。日本ではがんは、死亡率のトップであり、制度論の議論においてもがんが注目される。インターネットで患者が自分の病気について情報を得るようになり、外国で行われている治療のデータも知ることができるようになった。がんの活動家は、日本でいまだに行われている時代遅れの不適切ながん治療が日本人の寿命を縮めているという。死亡者数が、医療制度の貧困を物語っていると怒っている。

 肺がんを患いながら、患者グループのリーダーとして活動してきた橋本榮介氏は、アメリカと違って、日本の官僚は、重病の患者に対してあらゆる治療の可能性を追求する価値を認識していないと言う。68歳の元数学教師の橋本氏は「我々個人の権利が認識されていない。我々は生きる権利がある」と指摘する。「政府が医療費をもう少し増やすことは、民主主義を推進し、アメリカが起草した日本国憲法に謳われている権利のための支出としてはほんの小さなものだ。第25条ですべての国民は「健康で文化的な」最低限の生活を保障されている」と言う。

 日本では、2005年にがんで死亡した人の数は32万6千人にのぼり、総死亡者数の30%を占め、心臓発作と脳梗塞を合わせた数より多い。10万人あたりのがんでの死亡率は少しずつ上昇を続けており、逆にアメリカは減少傾向にある。がん治療の貧困が原因かどうかは議論の余地がある。人口動態とライフスタイルも影響しているかもしれない。日本は高齢化社会であり、男性のほぼ半数は喫煙し、肥満や心臓病は比較的少ない。これらの要因が、がんによる死亡率を上げる傾向にある。

 日本が、1950年代終わりから1960年代初期にかけて、国民健康保険制度を導入して以来、全国民に最低限の医療を保障することが政策の中心課題となってきた。国民は、毎月保険料を支払わねばならない。大企業も保険料を支払わねばならない。しかし、健康保険の適用範囲、医師の診療報酬は主に政府が決定する仕組みになっている。

 第二次世界大戦後、日本は、世界第二位の経済大国に成長したが、平均寿命においても同様にすばらしい改善をみている。厚生省によると、日本女性の平均寿命は、1985年以来世界第一位を保っている。

 一方、政府は、医療費を最低限に抑えてきた。国がほとんどの医師を雇っているイギリスとは仕組みが異なる。日本の医療制度は健康保険と民間の医師を組み合わせた、‘第三の道’の最たる例といえる。この制度は、ヨーロッパ大陸では一般的だ。

 日本では、医師への研修も報酬も少なくすることで医療費を抑制している。医師を目指す人たちは高校卒業と同時に医学部に進学し6年間で医師となる。アメリカでは高校卒業後、8年間勉強する必要がある。日本では、2004年まではインターン制度もなく、すぐに医師として働くことができた。(現在では、少なくても2年間、インターンとして勤務する必要がある) 医師の平均年収は、アメリカは約20万ドルだが、日本は10万ドル強である。

 医師は、患者の相談にのる時間がほとんどないと言う。日本では、一般に、患者は好きな医師のところに診察を受けに行くことができる。人気のある医師の診察では、「3時間待って3分の診察」といわれている。日本の医療費は、国内総生産の約9%で、アメリカは16%である。

 医療費の抑制はがん治療にも及ぶ。日本のがん治療は、アメリカ以上に外科医が主たる役割を担っている。アメリカでは、がんの専門医の典型的な領域である薬物療法の決定さえも、日本は外科医が行う。1990年代末まで、セカンドオピニオンの概念も知られていなかった。今日では、英語をそのまま拝借し、「セカンドオピニオン」をもらうという使われ方をしている。

 最近まで、患者は、外科医中心のがん治療システムにほとんど抵抗してこなかった。理由は単純である。患者の多くは、自分の病気を知らされてこなかったのである。患者は医師に全幅の信頼をおき、なぜ、手術を受けるのか、なぜ薬を飲むのか聞くことをしないのが普通だった。家族が患者ががんであることを知らされ、本人に知らせることはむごいと思い、真実を伏せてきた。

 安倍晋三総理大臣の父で政治家であった安倍晋太郎氏は、1991年に亡くなる前の2年間、がんであることが広く知られていた。しかし、本人が疑問を抱き、すい臓がんであることを知ったのは死の2ヶ月前だったと未亡人の回顧録に記されている。

 前述の元数学教師の橋本氏は、1990年に肝臓がんと診断され、腫瘍摘出の手術を受けた。しかし、彼の家族は本人にがんとは告げなかった。1999年に、息子に自分はがんで肺に転移していると告げられたときショックだったと言う。息子は、神戸の近くに住んでいた父に東京の国立がんセンターで化学療法を受けてほしいと思い、もはや真実を隠すことはできないと悟り、父に告げたのである。

 橋本氏は、日本のがん患者としては珍しいことだが、病気について猛勉強を始め、本を読みあさり、インターネットを駆使し情報を集めた。「私は、2回、もう治療法がないと言われた」と言う。その度に、新しい病院を探し、実験的な治療を受けた。国民健康保険の適用外の場合は私費を投じた。そして、彼は患者会に参加し、患者会のグループをリードしてきた。

 橋本氏は精力的に活動し、大きな運動に参加していく。今世紀初めごろから、新しい化学治療薬が出てきたり、インターネットが普及したことで、患者の中でも行動的な人たちが増え始めた。政府は、明らかに余命を延ばす効果がある数種類の薬を迅速に承認した。特にノバルティス社のグリベックは、アメリカで承認された同じ年に承認された。しかし、それほど余命の延長効果が期待できないと思われる薬の承認には何年も躊躇している。外国の製薬会社も、日本政府が決定する薬価があまりにも低く、承認を求める価値がないと動きが鈍い。

 日本政府は、命を救う可能性のある薬すべてを迅速に市場に出してきたわけではない。藁をもつかむ思いの患者は、政府のその姿勢に苛立っていた。患者は、例え、小さな効果の薬でも、すべて市場に出すべきだと考える。一つの例がエロクサティン(オキサリプラチン)である。この薬は再発した大腸がん患者の平均余命を数ヶ月伸ばすことが実証されていた。患者自らが街頭に出て集会を開き、ビラを配り、何度も国会に請願に行き、アメリカに遅れること3年で2005年にやっと政府が承認した。

 まだ、承認されていない薬も多い。アメリカで2004年2月に承認されたアバスティンを今政府は検討している。ジェネティック社のこの薬は、平均数ヶ月余命を延ばすことができるが、年間数百万円かかる。

 より多くの薬とよりよい治療を求める運動は2005年5月の患者大集会へと発展していった。2000人もの患者・家族が大阪のホールに詰めかけた。主催者側の一人に、医師であり、自らがん患者の三浦捷一氏がいた。演説で彼は、日本のがん患者を「がん難民」ということばでイメージした。「日本は経済的には豊かになったが、がん患者は、食べ物や水や助けを求めてさまよう難民と同じ状況に置かれている」と言った。この7ヵ月後に彼は亡くなった。

 患者の動きに合わせて、日本の公共放送のNHKも、アメリカにはるかに遅れをとっている日本のがん医療についてのドキュメンタリー番組を、2日間にわたり、夜のプライムタイムに放映した。この全国放送でNHKは、テキサス州テキサカーナの病院を紹介し、医師と看護師と他の専門家たち25人が、がん患者の治療について議論する様子を伝えた。日本ではたった一人の医師が、患者を診察し、診断を下し、治療を決定し、治療を行っている。

 世論の圧力はかなりのインパクトをもち、昨年4月、初めて、学会が、厳格な試験をパスした47人の医師に、化学療法で薬を処方できるがんの専門医である腫瘍内科医の資格を与えた。アメリカは1973年から、米内科医学会(American Board of Internal Medicine)が監督する同じような制度を採用しており、同学会から認定された腫瘍内科医は数千人にのぼる。

 「昨年6月に成立したがん対策基本法で、すぐに予算がつくわけではないが、厚生省に仕事をさせる目標をもたせ、がん対策推進協議会もできた」と前述の山本孝史議員は言う。また「アメリカに比べたら遅れているが、がん患者は告知されるようになり、活動を始めた。」とも言う。彼の本会議での演説により、がん対策基本法が異例のスピードで成立した。

 山本議員は、日本は、がん患者や他の病気の患者によりよい治療を提供するために、税金を上げるべきだと言う。彼自身は、日本では少数派のきめ細かな治療を実践してきた医師に、セカンドオピニオンを求めた。コンサルタント料の5万円は自費である。

 しかし、政府高官は医療費を大幅に増大することに消極的だ。政府は、1990年代からの巨額の赤字にあえいでいる。

 厚生省は、医師の診療報酬を切り下げ、患者負担を上げてきた。国民は、月々の保険料に加え、医療費の30%を支払わねばならない。自己負担最高額も10月1日からそれまでの72300円から80100円となった。更に、政府は、平均診療報酬を昨年1.36%切り下げた。2002年にも同様の切り下げを行っている。

 医師たちは怒っている。「次から次への切り下げだ。今回はやりすぎだ」と、日本医師会に所属する神経外科医の中川俊男氏は言う。

 元厚生省役人の中島氏は、政治家は日本企業の競争力も心配すべきだと言う。「会社の幹部はコストを下げたいと思っている」と言う。

 「最新の知識に精通している勤勉な医師は、認定腫瘍内科医と同じぐらいいい仕事ができる。がん患者は、診察室の壁に認定書がかかっていれば安心するかもしれないが、その安心感のためだけに、政府の予算をパンクさせるわけにはいかない。医師が認定書を取得したからといって患者が助かる率が上がるわけではない」とも言う。(訳 山本ゆき)