ヘルス&ケア (07/08/29)

ヘルス&ケア


私の健康法

 

医師と会話を積み重ねるなかで患者は初めて病気を受け入れる心構えができる

 がん患者の思いを国政に反映するとともに、日本のがん治療の質を向上させるべく、日夜奔走する山本孝史議員。昨年5月には国会で自らがんを患っていることを明かし、現在も治療を受けています。本来なら療養しなければならないのですが、先日行われた7月29日の参院選で当選、2期目を迎えました。そんな山本議員に、がん告知を含め、医師とのコミュニケーションのあり方や病院に対する思いを語っていただきました。

病名や余命を伝えるだけでは真の「告知」にならない

 一昨年の暮れに、がんが見つかりました。特に体の異状を感じることはなく、35歳で患い、すでに寛解した潰瘍性大腸炎の定期検査がきっかけでした。肝臓から胃にかけてCTで撮影すると、素人である僕の目で見てもわかるほどはっきりとした影が肝臓に映っていました。医師からはがんであることを告げられ、最後に「こんな重大なことを、心の準備がないままお話してすみません」と、お詫びをされたことを今でも記憶しています。ただ、とにかく「治療しなければならない」との考えが先に立ち、極めて冷静に受け止める自分がいました。

  その後、総合病院に行くと、「がんは肝臓で発症したものではない」と言われ、今度は全身をCTで撮影。肝臓がんば肺がんから転移したものであることがわかったのです。しかも、がんの病期(ステージ)が4期で抗がん剤治療を要する、とのこと。すぐに「そんなに長い時間を(生きるのは)期待できない」と理解できました。後で聞いた話ですが、その当時、妻は医師から「治療しなければ余命半年」と告げられたそうです。

  今でも、がん告知の問題についてはクローズアップされることがありますが、病名や余命を告知することの是非だけが問われているように思います。僕は、それは本当の意味での告知ではないと思うのです。原発巣を確定させ、病名を告げ、がんの病期や治療法、効果と副作用について説明する−。こうした、プロセスまですべて説明して初めて“告知した”と言えると思います。

  患者さんの年齢や家族構成、がんの進行具合いなどによって、告知すべきかどうかの是非は変わってくると思います。しかし僕の場合は、がんが発見された時、議員の任期満限までは1年半残っていたわけですから、告知してもらわなければなかったと思います。

病院全体の支援を実感できた時、患者に勇気がわいてくる

 昨年1月から抗がん剤の投与を始め、3クール目に入った時、診療時間以外で1時間半ほど担当医に時間をとっていただき、じっくり話し合いました。「今後、薬の組み合わせを変えて最大量を投与しても、期待する効果は得られないと思う。この病院では、どこまで治療を続けられますか」と率直に尋ね、ホスピスも含めた転院先の情報を得ました。

  どの主治医からも「常に自分のやりたいことに優先順位をつけてください」と言われ、今までの人生を振り返るとともに、今後の生き方についていろいろ考えました。途中、先生には「こういう患者さんが以前いてね」「こういう考え方の人もいた」「医療とはこういうものでね」など、言葉を換えて同じ説明を繰り返していただきましたが、そのなかで自分の置かれている立場を理解していったことを覚えています。

  がんを受け入れられるようになるキーワードは「時間」だと思います。時間をかけて患者さんと医師が会話を積み重ねた時に、初めて患者さんは病気を受け入れようとするのだと思います。単なる情報のやり取りではなく、その人が何をしたいと思っているのか、どんな人生観を持っているのかなどを含めて、“今後の治療のあり方を決めていくための会話”を時間をかけて行うことで、患者さんと医師の信頼関係が築ける。

  ただ、あまりにも多忙な勤務医の現状では、それを求めるのは無理でしょう。「こうしましょうね」「お願いします」までの関係にしか至らないのが残念です。

  患者さんには難病や事故などで障害が残るなど、いろいろ苦しいことを受け入れなければならない状況が出てきます。その時に支えになるのが、治療法だけではない医師の話をはじめ、看護師や薬剤師などのコ・メディカルの方との会話です。病院全体に「診てもらっている」と実感できた時に、患者さんに勇気がわいてくるのです。

  ホスピスというのは、現在言われているような緩和ケアを行う施設や病院といった“建物”のことではないと思っています。“地域で安らげる場所”という観点から、病院そのものがホスピスであるべきだと思っています。

民主党参議院議員 山本孝史

やまもと・たかし 1949年、兵庫県芦屋市生まれ。立命館大学産業社会学部卒業後、米国ミシガン州立大学大学院に入学。家族福祉研究で修士課程修了後、帰国し、財団法人交通遺児育英会に復職。93年に衆議院議員に初当選。2期7年務める間に厚生委員として、年金や臓器移植問題などで国会審議をリードする。2001年、参議院議員に初当選。民主党厚生労働NC大臣などを務めるほか、「国会がん患者と家族の会」の設立を呼びかけ、事務局を担当。がん対策基本法の成立にも大きく寄与

撮影=小川拓洋

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