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NO3
山本たかし "いのち"の政策実績
薬害エイズ
 
1995年、1996年に薬害エイズ真相究明に取り組む 
  まだあった隠されたファイル
 山本に要求された資料を出し渋る厚生省。「委員会で追求するぞ!」の山本の殺し文句で厚生省があわてる。そして、ついに「厚生省が、非加熱濃縮製剤の危険性に早くから気付いていたばかりでなく、安全な国産血液製剤への転換を検討していた証拠となる決定的な文書」が明るみになる。その生々しい現場のやりとりが、保坂渉氏の「厚生省AIDSファイル」に記されている。

「厚生省AIDSファイル」 保坂渉 (岩波書店)より抜粋

 「菅の記者会見から19日後の2月28日夕、衆院第二議員会館3階にある新進党山本孝史の事務所。山本は、厚生省の調査プロジェクトチームが公表した真相究明に関する中間報告書に、目を走らせていた。

 「これは委員会の質疑に使えそうだな」
 山本は厚生員会で、薬害エイズ問題を執拗に取り上げていた。報告書の中で目をつけていたのは「文献等調査リスト」だった。リストには、AIDSファイルから見つかったエイズ研究班の関係資料142点が列記されていた。山本は、その中から興味を持った資料10点を選ぶと、翌日厚生省に請求した。
 調査 プロジェクトチームから提出されたのは半数の5点。「残りを早く出せ」と言っても、なぜかだめだった。
 
  3月に入ると、山本はしつこく文書や電話で資料を出すよう催促を続けた。
 「人手が足りなくて持って行けない」
 「来週にしてください」
 厚生省の回答はその都度変わり、要領を得なかった。・・・・・」 続きはこちらです


国会で何度も質問に立つ

非加熱製剤のビンを持って追及

この資料の山から矛盾点を発見 隠されたファイルが明るみに
国会での質問
質問年月日
委員会
内 容
96.07.23 厚生 薬害エイズ証人喚問(郡司篤晃元厚生省課長)
96.07.12 厚生 薬害エイズ参考人質疑(松本孝夫順天堂大助教授、野崎貞彦元課長)
96.06.18 厚生 一般質疑(薬害エイズ。厚生省の対応)
96.06.04 厚生 薬害エイズ参考人質疑(山本邦松日本トラベノール元社長)
96.05.28 厚生 薬害エイズ参考人質疑(松下廉蔵ミドリ十字元社長)
96.05.14 厚生 薬害エイズ参考人質疑(松田重三元研究員)
96.04.19 厚生 薬害エイズ参考人質疑(安部英元研究班長)
96.04.12 厚生 薬害エイズ参考人質疑(治療体制整備等)
96.04.12 予算 一般質疑(薬害エイズ。資料隠し、橋本内閣の姿勢)
96.03.01 厚生 一般質疑(薬害エイズ。加熱製剤開発経緯、治験の遅れ等)
96.02.27 予算 一般質疑(薬害エイズ。和解成立への厚生省の姿勢)
96.02.19 予算 一般質疑(薬害エイズ。早期和解、恒久医療対策、資料隠し等)
95.11.08 厚生 一般質疑(薬害エイズ。厚生省の認識時期、回収への取り組み等)
95.10.24 厚生 一般質疑(薬害エイズ、臓器移植等)
質問主意書提出
97.10.28 日赤の血液凝固因子第9因子製剤の製造について
97.10.24 献血による血漿分画製剤の製造・供給のあり方について
96.12.18 献血におけるATLウイルス陽性献血者について
96.12.07 血液行政の見直しについて
96.01.30 血液製剤によるHIV感染について
95.11.14 非加熱血液凝固因子製剤によるHIV感染について
2003年1月31日 「薬害エイズ裁判史」発行記念会 
 山本の挨拶

  「 平成5年の初当選直後から、国会の場からも「薬害エイズ事件」の真相解明に取り組みました。
  厚生省(当時)が国会に提出した資料を精査して、まだ「隠されているファイル」があることや、加熱製剤の製造承認後も非加熱製剤が販売されていた事実を明らかにしましたが、薬害再発防止策は不十分なままです。薬害への義憤をエネルギーに、薬害根絶をめざして頑張ります。」

  (写真左は、桜井よしこさん)

 

94年 薬害エイズ国際会議

1996年4月「千里フォーラム」(民主党・藤村修衆議院議員主催)

「薬害エイズの問いかけるもの」と題して講演

02年11 第4回薬害根絶フォーラム