考動人・山本です
2003年8月の考動人

 


2003年8月27日 私鉄関西地連第61回定期大会
  
(兵庫県城崎郡城崎町湯島・城崎大会議館にて)

 8月27日、日本私鉄労働組合(私鉄総連)関西地方連合会の定期大会が兵庫県の城崎温泉で開催され、民主党大阪府連を代表して出席しました。

  今春、関西の私鉄が経営する遊園地の閉鎖が続き、経営環境の厳しさがうかがえましたが、京阪の中之島新線、阪神の西大阪線延伸と、市民の足の提供拡大は続いています。少子化と経済の低迷で、旅客増は望み薄ですが、都市再生を進める観点からも、公共事業を見直して、都市交通への投資が増やされても良いと考えます。

  午後からは、ハイヤー・タクシー従業員の組合である私鉄総連ハイタク関西地連の大会にも出席しました。


2003年8月22日 中国残留日本人家族支援集会に参加

 中国残留日本人の継子や養子家族が、国外退去を求められたり、入管に収容されたりしている問題で、支援者らが集会を開き、参加しました。

 父親が将来を悲観して自殺を図った石さん(来日して7年)は、「父は中国に帰国したら死んでしまう。私も中国に帰っても学校には行けないし、仕事もできない」と、はっきりとした日本語で訴えました。
 夫と大学生の息子が茨木市の入管センターに収容されている魏さんは、「20才の誕生日に収容されて、今日で1年。青春の貴重な時間を奪われてしまう。息子の代わりに私が収容されてもいい」と切実な思いを述べました。

 いずれのケースも、中国では実子も養子も同じ扱いで、家族であるかどうかを重視するのに対して、日本では血縁関係がないと、長年一緒に暮らしていても家族と認めないという、家族の定義の違いから生じた悲劇です。

 中国残留邦人に関しては厚労省が担当し、入管業務は法務省が担当するという縦割り行政のひずみが生み出した人々。不法入国や不法滞在が少なくないことも理解はしますが、家族の絆を引き裂くような行政のあり方は重大な問題と受け止めています。

 


お坊さんたちも盆踊りの輪の中に

2003年8月10日 四天王寺の盆踊り

 約1400年前に聖徳太子が建立した日本最初の大寺・四天王寺(大阪市天王寺区)で10年ぶりに盆踊りが復活しました。

 9日、10日と境内の東大門前広場に組まれた櫓の上で、ゲストの河内家菊水丸が景気よく河内音頭を唄いだすと、たちまち、踊りの輪が三重、四重、五重に。数日、特訓を受けてきたというお坊さんたちも輪の中に。

 バブルの頃、あまり人気がなく、自然消滅してしまった四天王寺の盆踊りが復活したのは、不景気が続くせいかもと関係者。いつもは、5時ごろには閉門し静寂な境内も、このときばかりは9時過ぎまで賑わっていました。
 



 

2003年8月7日 年金制度についてクロストーク 衛星放送・朝日ニュースター

 衛星放送の朝日ニュースターで、川名紀美キャスター、駒村・東洋大助教授と「クロストーク」。

  私は「年金制度が変わっても、基礎年金の給付(現在は月額6万7千円弱)だけは維持しなければならないと思います。年金改革の要諦は、サラリーマン年金の給付額や保険料の水準よりも、国民全員に保証されている基礎年金をいかに維持するかです」と話しました。

 

2003年8月7日 ホームレス歌人ツネコさん逝く

 

 大阪・梅田の路上で自作の歌を売り、「ホームレス歌人」として知られたツネコさんが5日、76歳で亡くなった。 7日、西成区の「ふるさとの家」で告別式が行われ、多くの仲間が最後のお別れをした。

 ツネコさんの突然の死を新聞で知って駆けつけたのか20歳前後の女性が呆然と立ちすくみ、目から大粒の涙を流していた。ツネコさんのひつぎに別れの献花をした若い男性も泣きじゃくり、しばらくツネコさんのそばから離れようとしなかった。

 牧師さんは、「亡くなった人は、残された者をずっと支え続ける」と。ツネコさんは、路上で知り合い、彼女を慕う若者や仲間の心の中に生きて、これからも支え続けるのだろうと思った。 

 献花の間、ツネコさんが好きだった元ちとせの「花」の曲が流れていた。「川は流れてどこどこいくの 人も流れてどこどこいくの そんな流れがつくころには 花として 花として 咲かせてあげたい・・・」

 最後に牧師さんは、「貧しく小さくされてしまった人たちを笑顔で心から支えてくれたツネコさんに感謝したい」と。 

 手作りの祭壇に、笑顔のツネコさんの写真が飾られて、人の心と花でいっぱいの告別式だった。(山本ゆき 記)


葬儀が行われた「ふるさとの家」(大阪市西成区)には多くの仲間が駆けつけツネコさんに別れを告げた。
 「考・動・人 3月」で、3月に開催された「ツネコさん写真展」を紹介しています。
 

 

2003年8月6日 文化放送第3回政治塾
 テーマ 「法律の作り方」

 今年の6月から始まった文化放送主催の政治塾は、今回が3回目。受講生は、20代から50代が多く、政治というものを基本から知りたいと考えている人が多いようです。

 今回のテーマは、「法律の作り方」。郵政大臣時代、政府・与党の立場での立法経験をもち、現在、「児童ポルノ法」の議員立法で活躍されている自民党の野田聖子衆議院議員と私が講師に招かれました。

 私は、1998年6月に「議員立法ー日本政治活性化への道」(第一書林)を出版しました。その中では、「臓器移植法」と「中国残留邦人帰国促進法」の成立過程を記しています。

 
野田代議士は「与党だと、議員立法したくでもできない」、私は「野党は議員立法を提出できても、成立は難しい」とそれぞれの悩みを訴えました。

  参加者は、政治的意識の高い「普通の社会人」のようでしたので、「こんな法律があればと思ったら、すぐ知らせてね」とお願いしました。

  国会議員となって10年。普通の市民感覚を失わずに、プロとしての政治家の経験を活かした立法活動を続けたいと決意を新たにしました。


左:山本 右:野田聖子衆議院議員

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