考動人・山本です
2005年1月の考動人


1月30日 第24回大阪国際マラソン
 第24回大阪国際マラソン(大阪長居陸上競技場発着)が開催され、山本孝史大阪事務所近くの土佐堀通り(天満橋交差点手前)を通過する際、秘書たちが応援しました。優勝したプロコプツカ選手や2位、3位の小崎まり、弘山晴美選手をキャッチ。

左端が小崎選手、隣が広山選手

プロコプツカ選手
 

 

1月29日 部落解放共闘女性連絡会議20周年記念 大阪市天王寺区・アウィーナ大阪

 あらゆる差別、特に女性差別と闘ってきた部落開放共闘女性連絡会議が20周年を迎え、語り合う会が開催されました。女性会議は毎年、研修会も開催しており、つれあいがここ4年参加しています。「つながりあい、まなびあい 20周年をこえて」と題した記念誌から抜粋して、女性会議の活動を紹介します。

 「ミスコン反対の取り組みにめぐり合えたことは、その後の自分の運動にとってよかったと思っています。女性差別に気づかせてくれたのはそのときの仲間です」(山中米子・女性連絡会議事務局長) 

 「春の一泊研修会、秋の平和学習会にはいつも楽しんで参加しています。昨年春は、毎日新聞社「世界子ども救援キャンペーン」取材班の高尾具成記者のアフガニスタンの子どもたちの映像と講演。秋にはフォトジャーナリスト豊田直巳さんのイラクの子どもたちの現状を学びました。これからも日本の子どもたちと同時に世界の動きと子どもたち女性たちのことを思い考えて現状をよく見てよく知っていきたいと思います」(村田孝子・女性連絡会議代表) 

 「チビ・ブス・カッペ」に抗議した紀伊国屋事件、勝間前代議長も大奮闘のあの闘いから20年、「こわ〜い」女性たちが、ある時は机をたたいて、ある時は相手の懐に刀を持って入り、「女性差別はアカンねん」と、どれだけ企業を、行政を動かしてきたか、それが「連絡会議」の歴史ではなかったでしょうか。」(永久睦子・女性連絡会議代表)

 

1月27日 老人保健施設「えびすの郷」視察 (板橋区)
 介護保険法の見直しの目玉とされる、軽度者への新予防給付。その柱とされる「筋肉トレーニング(筋トレ)」の実情を知るため、1月27日、民主党介護保険ワーキングチームの仲間と、東京都板橋区の老人保健施設「えびすの郷」を訪問しました。

  室内に置かれた筋トレの器具は外国製で、普及には低価格製品の開発や指導員の養成・配置など、さまざまな課題がありますが、仲間と一緒のトレーニングは、家に閉じこもりがちな高齢者にとって、心のケアにもなると感じました。もっとも、介護保険の見直しには論点が多いことから、利用者、施設や行政関係者などを交えての、十分な審議が必要です。

 

1月21日 江戸時代の医師・門屋養安の日記から大阪を見る 茶谷十六氏の講演 (大阪市・ドーンセンター) 
 大阪の文化グループ熟塾主催の「門屋養安(かどや・ようあん)日記」勉強会が開催され、歴史の教師や大阪と地方の文化的つながりに興味を持つ人など約70名が参加。講師は、江戸時代の養安日記を解読しデータベース化した(財)民族芸術研究所(田沢湖芸術村)所長の茶谷十六(ちゃたに・じゅうろく)氏。

 門屋養安(1792−1873)は、秋田県・雄勝町(おがちまち)の院内(いんない)銀山のお抱え医師。院内銀山は「天保の盛り山」として年間1000貫の銀を産出し、全国生産量の60〜80%を占めていました。
  十代半ばに地下400mで銀の採掘にあたる鉱山衆の実働は10年。ほとんどが硅肺病(よろけ病)になり40歳まで生きる人は稀。32歳で「初老の祝い」をしたといいいます。

  日本一の銀山には、江戸から歌舞伎、大坂からは浄瑠璃芸人が来て、連日大賑わい。大坂商人も薬などの物資を運び往来していました。一大産業都市・消費都市・文化都市だった院内や秋田県には、上方の影響が今もあちこちに残っています。1

 医師として銀山町住人の病気の治療と健康管理にあたった養安先生は、戊辰戦争で官軍側についた秋田佐竹藩が勝利したときも戦いの勝ち負けには頓着せず「家族が無事でよかった」と。3月に劇団・わらび座が、ミュージカル「よろけ養安」の大阪公演。(山本 ゆき)
和歌、俳諧、茶道、華道も達人。当代一流の文化人・趣味人で人間的魅力にあふれる養安先生

日記を解読した茶谷十六氏

熱心に聞き入る参加者たち


1月18日 直木三十五記念館オープン祝賀会
  直木賞にその名を残す作家直木三十五(さんじゅうご)(1891−1934年)の記念館が、大阪市中央区の空堀(からほり)地区に完成。その祝賀会が開かれ、私も参加しました。

 直木三十五は、賞の名前で有名ですが作品はあまり知られていません。 直木没後七十年を迎えた昨年、からほり倶楽部代表の六波羅雅一氏が中心となり記念館設立準備委員会(事務局長・小辻昌平)を結成しこの度の完成となりました。直木の生原稿や写真なども自分たちで集めた市民の手作り資料館であり、空堀地区の町おこしにもつなげたいと関係者。

(写真左から小辻昌平・記念館設立準備委員会事務局長、来賓の桂小米朝、有志による花笠踊り)

 

1月15日 あしなが遺児・世界各国遺児の連帯街頭募金(神戸JR元町駅


今度はぼくらが津波遺児に恩返し」の横断幕


あしなが育英会の学生たち

 あしなが育英会が、スマトラ沖巨大地震とインド洋大津波で数万人ともいわれる親をなくした子どもたち(津波遺児)のための街頭募金を神戸・JR元町西口で実施しました。

  1月7日に開催した「第5回国際的な遺児の連帯をすすめる交流会」(国遺連のつどい(あしなが育英会主催))の開会式で、阪神大震災遺児の長宅智行さん(17歳)が「インド洋津波遺児救済募金」を緊急提案し、各国の参加遺児たちから賛同を得え実施が決定されました。道行く人たちに寄附を呼びかけました。

 この日は、阪神大震災の日本の遺児、コロンビア(99年)、トルコ(99年)、台湾(99年)、インド(01年)、アルジェリア(03年)、イラン(03年)の震災遺児、イラク・アフガニスタンの戦災遺児、ニューヨークのテロ遺児、ウガンダのエイズ遺児たちが参加し、山本も応援に駆けつけました。

 

1月15日 第5回大阪防災ウォーク 大阪市役所前から出発

各地から71名が参加

山下正樹実行委員長と
災害救助用水缶詰
 出先で、地震などの災害で、電車や車を利用できない場合、あなたは家に帰れますか?第5回大阪防災ウォーク(山下正樹実行委員長)が開催されました。参加者71名のうち、最高齢が83歳。大阪府47名、兵庫県13名、京都府3名、奈良県7名、岡山県から1名が参加しました。

  大阪市役所前に集合し、地域別に分かれて、スタッフから渡された防災マップと災害救助用の水の缶詰とカロリーメイトをもって、それぞれの自宅へ向かって出発しました。いつなんどき、災害に遭うかもしれません。常に、まさかの時に備えておく必要があります。岡山から参加された方は、どこまで歩いて帰られたのでしょうか。

 

1月8日 豊竹英大夫(はなぶさだゆう)に聞く(文楽劇場にて(大阪・中央区))

英太夫と

発声の前に呼吸を整える

「声を作るのに20年」と太夫

 新年会の合間を縫って、文楽劇場へ。大阪から情報を発信する文化グループ「熟塾」の勉強会で豊竹英太夫(なはぶさだゆう)のお話を聞きました。

 「ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します」と、英太夫の指導で、「大河の向こう岸に向かって」声を出して、“お稽古”の真似事も。

 「義太夫は、声をつくるのに20年はかかる。70、80歳になって、ようやく本物です」と英太夫さん。芸の道は深いと、驚きました。

 文楽は、昨年、ユネスコの文化遺産に登録され、徐々に愛好者が増えてきました。私も、その一人。人形の美しさ、動作のしなやかさに見とれてしまいます。日本が世界に誇れる文化です。英太夫曰く「人形は3人で操るが、海外公演で、外国人に人形を操作させると、皆、頭を持ちたがる。足だけの操作を何十年も仕事とするなんて考えられないようです。」と。手足の動きで表わす人間の感情の襞は絶妙です。


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