考動人・山本です
2006年1月〜6月の考動人


6月30日 がん医療の現場を視察

国立がんセンター東病院(陽子線治療施設)

東大病院(放射線治療施設)

 参議院厚労委で、国立がんセンター東病院(陽子線治療施設と緩和ケア病棟)と、東大病院(放射線治療施設と緩和ケアチーム)を視察しました。

  放射線治療の現場には、放射線に精通した工学出身者が不可欠と改めて認識。東大病院の緩和ケアチームは、放射線治療医、緩和ケア専門看護師、薬剤師、漢方に通じた薬剤師などで構成されています。永井良三病院長が「緩和ケアチームは、主治医からのオーダーを待つことなく、積極的に患者の疼痛緩和に関与して欲しい」との姿勢を示されました。示唆に富んだ発言です。

 

6月29日 がん治療の前進をめざす民主党議員懇談会総会

 がん治療の前進をめざす民主党議員懇談会総会で中川恵一先生(東大付属病院 放射線助教授 緩和ケア診療部長)と埴岡健一氏(東大先端研 特任助教授 日経メディカル編集委員)が、今後取り組むべき課題について講演されました。

(写真左:前列左から3人目が山本 写真右:中川恵一先生(左)と埴岡健一氏(右)) 

 

6月28日 B型・C型肝炎総合対策推進本部、原告・弁護団からヒアリング
 民主党B型・C型肝炎対策本部の会合が開かれました。肝炎は、肝がんになる可能性があります。早期発見、早期治療が鍵ですが、厚労省の腰は重い。予防接種での注射針の使いまわしによるB型肝炎は、最高裁で国の過失が認められ、C型肝炎訴訟でも、対策の遅れた国や製薬会社の責任が指摘されました。がん患者を減らすためにも、肝炎対策の拡充は不可欠。頑張って取り組まないといけないと思いました。

  (写真左:山本 写真右:挨拶するB型・C型肝炎対策本部の菅直人代表代行)

 

6月15日 参議院厚生労働委員会 がん対策基本法案審議を傍聴
 がん対策基本法が参議院厚生労働委員会で、全会一致で可決されました。また、19項目の附帯決議も採択されました。その瞬間を、傍聴席で見ていました。会期末までの限られた時間のなかで、よくぞ可決にまで至ったと、感慨無量でした。(写真左:傍聴する山本)

 

6月9日 衆議院厚生労働委員会 がん対策基本法案審議を傍聴

 衆議院厚生労働委員会で「がん対策基本法案」が4党共同提案で提出され、各党の質疑後の採決で可決されました。

( 写真は傍聴する山本の後姿)

 

6月7日 参議院議長に自殺対策法案制定の請願を提出
参院議長応接室において「自殺防止法案を考える有志の会」の国会議員の立会いの下に、自殺対策に取り組むNPO関係者が、扇参院議長に対して「自殺対策の法制化に関する請願書」を提出し、自殺対策法案の制定促進を要請しました。山本も立ち会いました。

 

5月31日 民主党内閣部門会議

左から大島敦(内閣府担当大臣)小宮山洋子、奥村展三(副大臣)、山本、清水康之(特定非営利活動法人 自殺対策支援センターライフリンク代表)
今国会での成立を目指す自殺対策基本法について、民主党内閣部門会議で説明しました。ライフリンクの清水康之代表も出席し、自殺予防対策の必要性と、早期の法案成立を訴えました。

 

5月27日 ボラ協総会と川田龍平さんの講演会 (大阪NPOプラザ)

 大阪ボランティア協会の総会があり、記念講演の講師は、薬害エイズの被害者、川田龍平さんでした。久しぶりにお会いしましたが、さらにたくましくなられたように感じました。


 若者にHIV感染者が増えていることをどう思うかと訊ねたところ、「性教育バッシングがあるが、正しい知識を広めるために、学校と保護者が一体となって取り組むことが重要だ」と述べられました。

(写真左:川田龍平さん 右:質問する山本: 下:大阪ボランティア協会事務局長早瀬昇さんと)

 

5月24日 がん患者団体の役員と意見交換 

左から「癌とともに生きる会」の濱本さんと石橋さん(大阪市内にて)
 5月22日の参院本会議で、「私もがん患者」と公表したことで、がん患者団体の役員の方の訪問を受けました。
 
  26日には、日本がん患者団体協議会の山崎文昭会長(群馬県)と佐藤さん(茨城県)が国会事務所に来られました。また、27日には、癌と共に生きる会の石橋健太郎会長(広島県)と濱本満紀さん(大阪府)が、大阪に来られ、懇談しました。

  (1)未承認薬の早期承認、(2)腫瘍専門医の育成、(3)緩和ケアの充実、(4)がん医療の均てん化の4項目についての要望をお聞きしました。

 

5月13日 大熊由紀子さんの「えにしを結ぶ会」 (東京・日本プレスセンター)


大熊由紀子さんと山本

 5月13日に開かれた大熊由紀子さんを接点とする「えにし会」に私もお招きいただきました。そこでの「えにし」を大熊さんのメルマガから転載します。

「新たなえにしを結ぶ会」は「志の結び直しの会」でもあります。
山本さんをめぐっては、2つの再会がありました。
1つは「自立支援って?」のコーディネーター東洋大教授の北野誠一さん。
高校時代の親友でした。
もうひとりは、ブラジルからきた子どもたちを流暢なポルトガルととびきりの笑顔で支えている太田市教委の根岸親さん。
山本さんは7歳の兄を交通事故で亡くし、在学中に交通遺児育英会に入局、事務局長に。
父をなくした根岸さんは育英会の寮で過ごした"同志"でした。

久しぶりの再会の機会を作ってくださった大熊さんに、感謝!

(詳細はこちら)

 

1月15日 「あしなが育英会第11回偲び話しあう会」神戸・あしながレインボーハウス

 11年前の阪神・淡路大震災で家族を亡くした震災遺児家庭の追悼式「第11回今は亡き愛する人を偲び話しあう会」が、神戸レインボーハウスで行なわれました。

  黙祷が捧げられた後、お父さん(当時37歳)をなくした魚田君(12歳)が「天国のお父さん、お元気ですか?」とお父さんに語りかけました。「お母さんは、毎日、パン屋さんで働いていてとてもしんどそう。お兄ちゃんと代わりばんこでお母さんの肩をたたいたり、洗濯物をたたんだりお風呂に水を入れたりとできるだけお手伝いをしている。お父さんお元気で」と結びました。

 本間さん(25歳)は、震災の時5年生。水耕栽培やハーブティーやポプリを作る会社を経営していたお父さん(当時41歳)の思い出を語り、「震災の前にもっとお父さんと話をしておけばよかった。ごめんなさい。」と語りかけました。

 同じく、震災でお姉さんのウー・ミン(伍鳴・当時27歳)さんを亡くした、ウー・ファン(伍芳)さんが、古筝の追悼演奏。自作の「姉への手紙」「彩虹橋(さいこうばし)」と「春よ来い」の三曲を演奏しました。
 「 『姉への手紙』は、あの時けんかをしなければよかったとか、いろいろな想いをこめて作り、『彩虹橋』は、神戸の町を見下ろしていたとき、虹のような橋が見えて、あの橋を渡れば会いたい人に会えると思って作りました。『春よ来い』は震災直後に毎日のように流れていてお姉さんも好きだった歌でした」と遺児や家族に語りかけました。(山本 ゆき)

胸に響き、心に沁み入るウーファンの古筝の音色

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