考動人・山本です  2007年7月〜12月の考動人


12月20日 救えるいのちのために 〜日本のがん医療への提言〜 が完成
がん患者となってから2年間、書き溜めていたものが一冊の本になりました。入院先の病室で渾身の力を振り絞り、日本のがん医療向上を願って完成させました。

 

12月4日 被爆者援護法の改正案を参議院に提出
12月4日、筆頭発議者となって、被爆者援護法の改正案を参議院に提出しました。この法案は2005年7月以来3回目の提出(2回は審議未了)ですが、今回は与党も、来日しなくても海外からの被爆者健康手帳の申請を認める内容での法案提出を検討中とのことですので、両案が歩み寄って、一日も早く法律が成立することを願っています。

 

8月8日 民主党B型・C型肝炎総合対策推進本部 第7回会合 (衆議院第一議員会館)
 出産時に、止血を目的に乱用された血液製剤によってC型肝炎になった被害者が起こした訴訟で、国の責任が厳しく問われています。6人の原告の方から、これまでの治療や生活のご苦労について聴きました。医療費や障害認定の問題など抱えている問題は進行がん患者の場合と同じでした。

 民主党は、国と原告団と和解を後押しするとともに、200万人ともいわれる被害者の医療や福祉の充実を図るために方策を練り上げていきます。

 

8月8日 総務部門・厚生労働部門合同会議 
 消えた年金記録問題で被害者から話を聞きました。

  同時に社会保険庁や総務省から「年金記録確認第三者委員会」などについて、どのように対応していくことになるのか、詳しい説明を求めました。

 

8月7日 第167臨時国会が召集
 第167臨時国会が召集され、議長、副議長を選出しました。再び参議院議員として働けることを大変嬉しく思いました。

写真左:議場に入る前にインタビューに答える。写真右:本会議終了後事務所にて
毎日新聞 (8月7日 夕刊)
晴れ晴れ民主勢  

 昨年5月の参院本会議でがん患者であることを告白、がん対策基本法成立に尽力した山本孝史氏(58)は民主党の比例で最後に当選が決まり、再選を果たした。この日、酸素ボンベの入ったキャスター付きのかばんを引き、チューブを鼻に入れて登院。「当事者にしか分からない医療の実態を国民に知ってもらうのが、僕に託された役割」と決意を新たにした。

 本会議終了後、ゆっくりとした足取りで議場から出てきた山本氏。「感無量。赤じゅうたんに戻ってきて、うれしい気持ちと責任の重さを痛感している」。続けて「でも、本当に立てるとも思ってなかったし……」と静かに心境を語った。

 

7月30日 第13回未承認薬使用問題検討会議を傍聴 (東海大学校友会間)
 第13回未承認薬使用問題検討会議を傍聴しました。再選後の初仕事でした。

 6月12日の厚生労働委員会で、山本は、「 疼痛緩和薬のメサドンを日本国内で早期に承認して欲しい」と要求し、柳澤厚労大臣が「疼痛緩和薬の選択肢が増えることは望ましい」として、承認に向けて積極的に取り組むことを約束していました。

  詳細は後日報告します。

 

7月12日〜7月29日 参議院選挙

 参議院選挙で当選を果たしました。山本は4回街頭に立ち、「いのちの政策」を訴えました。


新宿にて(7月12日)

錦糸町にて(7月15日)

三軒茶屋にて(7月25日)

新宿にて(7月28日)

 

7月7日 自分史を語る (代々木 オリンピックセンター)

自分史を語る山本

プレゼントされたバンダナを巻いて寄せられたメッセージを読む
 58回目の誕生日を迎えたこの日、山本は、あしながの学生にに自分史を語りました。

 7歳の兄を交通事故で亡くしたときの自分のこと、父母のこと、大学3年生のときに交通遺児支援のために街頭募金に立ったこと、その後のあしなが活動について語りました。

  また、昨年の5月に参議院本会議でがん対策基本法の制定を求め質問に立ったときに、「抗がん剤で髪の毛が抜けて、カツラをかぶっていた。少し髪の毛が残っていて、両面テープがうまくつかず、お辞儀をしたときに、カツラが脱げないか心配した」と苦労話を披露しました。

 「何で僕ががんにならんとあかんねん」と思うこともあるが、「おまえだから、仕事ができるはず」と選ばれたと思っている。がんの自分だからこそ「救えるいのちを救う」仕事ができると思っている。」

 学生たちに、「あなたがたは、人の気持ちがわかる」という貴重な財産を持っている。一言聞いただけで相手の痛みがわかる人たちだ。皆さんがそれぞれの立場で、それぞれの地域でリーダーとなって地域や国を良くするようメッセージを発し続けてほしい」と語りかけました。

  話し終ると同時に、学生さんたちから「ハッピーバースデイ」の大合唱が起こり、心のこもったメッセージが書かれた色紙などをプレゼントされ、最高に幸せな誕生日でした。もう一人7月7日生まれの男子学生がいました。彼にも「ハッピーバースデイ!!」 (メールマガジン「蝸牛のつぶやき」(7月9日号)でも報告しています)

 

7月6日 フォーラム「生きるということ」 (四谷 主婦会館)

写真:右から山崎章郎さん、俵萌子さん、、鈴木共子さん、大熊由紀子さん (撮影:八木沼 卓)

「いのち」を語る山本

 フォーラム「生きるということ」が開催され、大熊由紀子さんのコーディネイトで俵萌子さん、山崎章郎さん、鈴木共子さんのお話を伺いました。山本も加わって、それぞれが、いのちを見つめた「生きるということ」を語りました。

 俵さんは、まず、戦争を体験した一人として「戦争は絶対にしてはいけない」と述べられました。

 「11年前に乳がん手術をされたときに、温存療法は3割ぐらいで、がん医療は女性に冷たいと感じた。がんについて発言せねばと思い、がん患者の相談にものり、乳がん患者さんたちと、心の中で1、2、3と号令をかけて思い切って温泉に入ろうと「1,2の3で温泉に入る会」を作り、毎年温泉を楽しんでいる」などのお話をされました。会員で亡くなる方もおられ、生かされている自分は何をすべきか、亡くなった方々に代わってがんと闘わねばと思う」とも語られました。

 ケアタウン小平クリニックの院長の山崎章郎さんは、患者と家族のトータルケアをめざし、地域に根ざした街づくりをされています。「人はどんなときに生きる希望を失うのか、そしてどう再生していくのかと考え続け、病気の人は、自分で日常生活が難しくなって他人に迷惑をかけると思ったとき生きる希望を失う。しかし、本気になって一緒に生きてくれる人が側にいてくれれば、また生きようという意欲がわいてくる。いじめに苦しんでいる子供たち、自殺しようと思いつめた人の側に誰かがいれば生きられる」と語られました。

  鈴木共子さんは、7年前、早稲田大学に入学したばかりの一人息子の零さんを無車検・無保険の車にはねられ亡くしました。その前には夫をがんで失い、息子だけは守らねばと思っておられたそうです。零さんの死をきっかけに、刑法の改正運動を行い、2年間街頭に立ち、約37万人の署名を集め、「危険運転致死傷罪」の新設を成し遂げました。
  「法律では命は米粒ほどのもの。犠牲者は命のメッセンジャーとしてあちこち駆け回っている。死んでも役に立っていると思い、ただ、前へ、前へと思いながら生きてきた」と語られました。そして、鈴木さんをモデルにした映画「ゼロからの風」を紹介されました。

 最後に山本が、「自分は生かされている。どこかでがくんとくるかもしれないが、身近に支えてくれる人がいるということは幸せなこと。がん患者になって、こういう医療が続いている限りは長生きできないと実感した。末期がんだからもう何もできないというのではなくて、実はそこから新しい、もう1つの仕事が出来る。
  救える命があるのに、次々と失われていく。それは政治の責任だ。自殺もがんももっと減らせるはずだ。人間が最後の最後まで、尊厳を持って生きられる。そういう社会にしたい。また、絶対に戦争はしてはならない。」と語りました。
  (メールマガジン「蝸牛のつぶやき」(7月9日号)でも報告しています)

 

7月5日 学生さんインタビュー (国会事務所)

 5人の大学生の訪問を受けました。

  「どうやったら日本の国はよくなりますか」と厳しい質問。
 
  「国会議員も頑張らねばならないが、国会議員を選ぶ有権者も、地域をよくするように努力しなければいけない。誰かに任せるのではなく、一人一人が、地域で声を上げて、地域を動かしていかねばならない。」

 「国会議員にどうしたらなれますか」と、またまた難しい質問。

 「私はたまたま日本新党という風があったから国会議員になれたけれども、なかなかチャンスがないと難しい。国会議員でなくても町や村の議員さん、市長さんや首長さんになって、自分が思うような町を描いてみたらどうか。そうすれば、どこがおかしいかわかってくる。そういう風に考えてくると、世の中を変
えていく道筋が見えてくるような気がする。」

 若い人たちに大いに期待できると思っています。


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