2012年11月11日 第8回がん患者大集会基調講演原稿 (山本ゆき)
 
がん対策基本法に込められた患者の思い

〜がん末期の患者さんの光り輝く時間を大切にしてほしい〜

山本が亡くなってもうすぐ5年になりますが、私は大阪で「山本孝史のいのちのバトン」という会を主宰し、山本の「いのちのメッセージ」を伝える活動をしながら、「大阪がん医療の向上をめざす会」という8つの患者会などが集まった会の中でも活動しています。本日のテーマでありますがん患者さんの終末期の問題に関しましては、会の中でも関心が深く、勉強会なども重ねてまいりました。きょうのこの集会においても、「在宅」の問題点などが明らかにされ、議論が深まっていくものと期待しております。

2006年に国会でがん対策基本法が制定され、翌2007年4月に施行となって以来、日本のがん対策は少しずつ前進してきていると思います。基本法の下、患者当事者の声を取り入れながら、国が5ヵ年のがん対策推進基本計画を策定し、都道府県もそれぞれ基本計画を策定して取り組みが進められています。

そして、病院側の意識にも変化がありました。昨年、北陸のある拠点病院の院内患者会で講演させていただいた時のことですが、院長先生もご参加くださり、こうおっしゃいました。「私たちはがん対策基本法ができてから考え方を変えました。医療者中心の医療から、今は、患者さん中心の医療を提供するようにしています」と。このことからも、がん対策基本法の制定の意義は大変大きいと思います。

2000年頃に活発になった患者さんたちの運動で実を結んだのががん対策基本法でした。当時の患者さんたちの思いとは何だったのでしょうか。山本孝史も国会で法案成立に尽力させていただきました。山本の思いとは何だったのでしょうか。本日、私の方からは、がん対策基本法に込められた患者さんたちの思いを、私が身近に接した山本孝史という一人のがん患者を通してお話させていただき、本日のテーマであります、がん患者の終末期について考えてみたいと思います。

昨年5月の第20回がん対策推進協議会で、門田守人会長が、がん対策基本法制定の経緯について述べておられます。「患者さんたちのいろんなグループの方がいらっしゃって、それを2005年でしたか、がん患者大集会という形で1つに集約して大きな力となった。それがこの法律の成立に非常に力になった。同時にもう一つ、山本孝史参議院議員は、自分ががんだということを公開しながら頑張って、一気にできあがった」と。

その通りだと思います。多くのがん患者さんたちが治療を受けながら、2001年に街頭で、「未承認薬の早期承認」を求めて署名活動を展開し、また「患者主体の医療」「がん治療の地域間格差の解消」などを訴え、政治家への陳情も活発に行いました。そして、2005年5月、第1回がん患者大集会が開催され、基本法制定へと大きなうねりとなっていったことは皆さんがよくご存知の通りです。

山本にがんが見つかったのは、2005年12月、丁度、国会で基本法制定の動きが活発になったころでした。胸腺がん。すでに肝臓と肺に転移。手術も放射線治療もできない状態で、抗がん剤治療で「元気な日を一日でも長く」という延命治療の道があるだけでした。いきなりのステージ4、そして「余命半年、治療しても1〜2年」という厳しい現実が私たちに突き付けられました。

「どう生きていくのか」、迫りくる死の恐怖と闘いながら、山本は自問自答を繰り返しました。そして、一人のがん患者として、自分の置かれている立場でやるべきことをやろうと決意していきます。

まず、自分が3年前から取り組んでおりました「自殺対策基本法」を完結させることを優先しました。追いつめられて死を選ばざるをえない人をなくしたかったのです。

がんに関しても、猛勉強を始めました。厚労省から資料を取り寄せ、患者団体の皆さんからは問題点を教えていただき、また、自らの治療を通して日本のがん医療の現状を把握していきました。

地域によっては初期のがんすらまともに治療を受けられないでいる患者さん、まだ元気なのに、病院から「うちではもう治療はできません」と見放される進行・再発がんの患者さん、医療用麻薬を処方してもらえず痛みに苦しみ続ける患者さん、未承認薬の問題など多くの問題を目(ま)の当たりにしました。

「自分が今、このタイミングでがん患者となったのは、「がん対策基本法」を成立させる‘使命’を負ってのことではなか」と考えるようになりました。「ここで自分の立場で行動を起こさなければ、彼岸に渡った時、先輩のがん患者さんたちから「おまえは何をしてきたのか」と叱られる、がん患者運動を牽引された三浦しょういち先生や島根の佐藤均さん初め多くの患者さんから自分はバトンを受け継いでいる」と言っていました。

がん宣告から5ヶ月後、2006年5月22日、山本は、参議院本会議で当時の小泉純一郎首相への質問に立ちました。第164回国会で、会期末まで25日間しかありません。山本は「自分ががん患者」であることを議員たちの前で告白する決意しました。

タキソールで髪の毛が抜け、痩せてしまっておりましたが、「がん患者の国会議員」として行動を起こしたあの日の山本の演説をお聴きいただけますでしょうか。
山本孝史のビデオ(2006年5月22日 参議院本会議)
この演説の翌日から、与党案(当時は自公政権でしたが)と民主党案の一本化の話し合いが、政党の壁も衆参の垣根も越えて急ピッチで進められていきました。そして、がん対策基本法は会期末の6月16日に全会一致で、奇跡の成立を見ました。山本の念願でありました自殺対策基本法も前日に、同じく全会一致で成立いたしました。

がん対策基本法の「基本理念」は3項目あります。2項目目「がん患者がどこに住んでいても適切な治療が受けられる事」、3項目目、「患者本人の意向を十分に尊重した治療方法等を提供できる医療体制の整備」というそれらの条文に、患者さんたちの思いが入ったのではないかと思います。

成立から9ヶ月後、がん対策基本法が施行になり、山本が患者団体の皆さんから強く要望を受け、設置にこぎつけた「がん対策推進協議会」が発足しました。協議会委員には、18人中4人の患者側の代表が含まれました。山本はこの日を一日千秋の思いで待っていました。いよいよ、当事者を交えての具体的な施策について話し合いが始まったのです。

第1回協議会開催日の朝、傍聴に出かけようとした山本のケータイが鳴りました。緊張する患者側代表の委員の一人からでした。山本は大声で「厚労省に取り込まれてはだめ、患者は患者の立場で堂々と意見を述べればいい」とアドバイスをしておりました。その後も第2回、第3回協議会と身体状況が許す限り、山本は傍聴を続けました。

がんが見つかってから1年と4,5ヶ月が経っており、山本の肝臓のがんは待ったなしのところまできており、肝動注で治療を受けながらの国会活動でした。痛みの方は医療用麻薬を処方されており、大方、コントロールはできておりました。

患者側の代表委員たちを激励しながら、国会では自ら参院厚生労働委員会で質問に立ちました。5月10日、相手は柳沢伯夫厚労大臣でした。肺の機能も悪化の一途を辿り、心拍数が120を超えていました。

「自分にとってこれが国会での最後の質問になるかもしれない」との思いを抱き、「自分亡きあとを生きるがん患者さんたちのために何をお願いすべきか」と、明け方まで悩みました。ほとんど睡眠を取らずに臨んだ委員会で山本は、がん末期を生きる自分の心情を吐露しました。

「よくわかるんです。自分もがん患者になって初めて何が問題かということがわかるようになりました。いわゆる末期がんと言われると、もう余命はなくて、もうすぐ死ぬんだと、何もできないんだというふうに世間では思われがちですが、しかし、そうではなくてそこからががん患者の光り輝くところであります」と申しました。そして、「がん対策推進基本計画が、末期のがん患者さんたちにも喜ばれるものにしてほしい」と訴えました。大臣も「本当にがん患者の皆さんに喜んでいただける、そういう計画になるべき」と答弁されました。

1か月後、厚労省より5ヵ年の「がん対策推進基本計画」が発表されました。「在宅緩和ケア」に関係の深い分野では、「緩和ケア」と「在宅医療」が盛り込まれました。緩和ケアについては、「診断、治療、在宅医療など、様々な場面において切れ目なく実施される必要」が強調され、拠点病院を中心として、緩和ケアチームやホスピス・緩和ケア病棟、在宅療養支援診療所等による地域連携を推進してく」ことが目標に挙げられました。

在宅医療については、「がん患者が、住み慣れた家庭や地域での療養を選択できるよう、在宅医療の充実を目指して、必要な体制を整備していく」とし、具体的には、@24時間体制の在宅医療モデルの紹介、A訪問看護師の確保、B医療用麻薬の専門職の育成・確保など多くの目標を掲げました。

厚労省の発表では、在宅で最期を迎えたいという人は6割にのぼります。第1次の5年が過ぎて、今年6月に第2次の5ヵ年計画が発表されました。5年間の施策によって自宅で看取られた患者さんは増えたのでしょうか。厚労省によりますと、平成17年(2005年)は5.7%で平成21年(2009年)は7.4%だそうです。6割の人が望んでいる割には小さな数字です。何が問題なのでしょうか。

私たち「大阪がん医療の向上をめざす会」では、先月、緩和ケアの勉強会の折に、がん患者さんたちに「終末期の過ごし方」についてアンケートで質問をいたしました。「ホスピス・緩和ケア病棟」で過ごしたいと考えておられる方が最も多く、続いて「自宅」、「病院」となっておりました。しかし、「ホスピス・緩和ケア病棟」や「病院」と答えた人でも、本音で言えば自宅で過ごしたい、けれども、「家族に負担や迷惑をかけたくない」、「自宅で介護してくれる人がいない」「家が狭く、在宅医を受け入れられない」などの理由で、「在宅は無理」と思っている人が多くおられました。このような問題が解決されない限り、いくら国が、がん患者さんを病院から自宅へと促してもそのようにはなりません。

この6月から始まった新計画では、在宅医療の提供体制はどうなっているのでしょうか。前計画では、「がん医療」の大項目の下に、「在宅医療」という項目があり、<取り組むべき施策>が記述されていたのですが、新計画では「在宅医療」という項目がなくなり、代わりに「地域の医療・介護サービス提供体制の構築」という項目が新設され、その中で「在宅医療」が扱われています。

<取り組むべき施策>が3点ありまして、2つが拠点病院に関するものです。その1つは、「3年以内を目標に拠点病院のあり方について検討していく」、2点目は、「拠点病院が医療従事者に対して、在宅医療に関する研修を行い、また、患者とその家族が療養場所を選択できるように努める」というものです。しかし、2012年4月現在、「拠点病院の数は397、2次医療圏に対する整備率は68%で、まだ拠点病院が整備されていない地域もあります。こういった地域では、どこが在宅医療に関する研修を実施し中心的な役割を担っていくのでしょうか。

<取り組むべき施策>の3点目には、「多様な主体が役割分担の下に参加する地域完結型の医療・介護サービスを提供できる体制を整備、各制度の適切な運用とそれに必要な人材育成を進める」とあります。「多様な主体」、「各制度」、「それに必要な人材」と全く具体性のない表現に終始しており、地域完結型の医療・介護体制の全体像が見えません。前計画で充実を図るとされていた「訪問看護」や「24時間体制」ということばが新計画にはありません。また、前計画の<緩和ケア>の項目のなかに「在宅緩和ケア支援センターを設置する」という目標がありましたが、新計画の中では言及がありません。どうなっているのでしょうか。在宅医を増やし、前計画で目標とされた「訪問看護」や「24時間体制」の充実、「在宅緩和ケア支援センターの設置」などの施策が講じられてこそ、安心して在宅への移行が可能となるのではないでしょうか。

患者さんたちには時間がありせん。行き場がなくて困っています。前計画に盛ったことも引き続き取り組んでいっていただきたいと思います。

遺族の悲しみというものは、時間が経てば和らぐというものではありません。今でも、山本の思いに触れるたびに泪が込み上げてきます。それでも私の救いとなっているのは、彼が「充実した幸せな人生でした」という言葉を残してくれていたからです。がんにかかったことも、治療法を毎回、医師と一緒に決めていったことも、「大阪で死にたい」との思いを抱きながら東京で最期を迎えたことも含め、すべて納得した人生だったのです。

山本は言っておりました。「残された1ページ、1ページに何を書きこんでいくのか。ある人は、孫の入学式であり、ある人は娘さんの花嫁姿を見ることかもしれない」と。

山本も残されたページに書き込むことができたことがあります。死の2日前に、山本がまとめていた日本のがん医療への提言書が、この『救える「いのち」のために』ですが、その見本本が病室に届けられました。眠っている山本に、「本ができてきたよ」と呼び掛けると、目を開け、じっと表紙を見つめていました。「いい色だね」と言うと、頷いてまた眠りに戻っていきました。山本は、自分がまとめた日本のがん医療への提言書がこの世に出ることを確認し、2年間のがん闘病を終え、この世を後にしました。

患者さんたちは、納得して人生を閉じたいのです。終末期の光り輝く時間をもつことができてこそ、納得したいい人生となるのではないでしょうか。

在宅医療のみならず、私たちの調査で希望が多かった「ホスピス・緩和ケア病棟」も充実させ、「終末期医療体制の確立」をがん医療の中にしっかりと位置づけて、患者さんが希望する場所で安心して最後の日々を送ることができるよう、国は積極的に対策を講じていただきたいと思います。「がんと診断されたその日から終末期まで」、患者さん主体の医療が提供されること、それが、がん対策基本法に込められた患者さんたちの思いだと私は思っております。そして、私は、これからもバトンをつないで行かねばならないと思っております。

ありがとうございました。
第2部 パネルディスカッション
左から
・三宅智氏(東京医科歯科大学臨床腫瘍学分野教授 コーディネーター)
・西舘澄人氏(GIST肉腫患者と加速の会代表)
・ 飯野奈津子氏(NHK解説副委員長)
・ 岡田就将氏(厚生労働省がん対策推進菅)
・ 蛭田みどり氏(ケアタウン小平訪問看護ステーション所長)
・ 片山壽氏(尾道市医師会地域医療システム研究所所長)
・ 山本ゆき