山本孝史の記録
第一章 いのちの政治家(6)
 

<山本孝史の今年の目標>

 国会議員となって、間もなく半年。厚生委員会に所属して、テーマである「やさしい人間愛社会」の実現をめざして頑張っています。国会というのは「不思議だなぁ」と思うことの多いところですが、新人議員らしく、当選したときの気持ちを忘れずに、応援してくださった有権者の気持ちになって、これからも活動してまいります。(国会レポート 1994年元旦特別号)

 国民の間に漠とした不安が広がり、それに対して、政治も行政も確かな道筋を示せなかった96年。「自民党単独政権」の復活、薬害エイズや住専問題にみられた行政不信の高まりと、日本社会は後ろ向きに動き始めたようでもあります。戦後50年を迎えた日本は、再興のてがかりを欲しています。1997年、今年を「日本再建元年」にしなければならない。そんな想いで新年を迎えました。(国会レポート第22号 1997年1月)

 混迷からの脱出をめざす今年のキーワードは「信頼回復」です。政治不信の元凶は、政権維持に汲々とする橋本内閣にあります。・・・日本社会に「信頼」を取り戻すには、何事も「原点」に立ち返ることです。私も立候補当時の初心に立ち戻り、これまで同様、厚生委員会を主舞台に力一杯に取り組み、政治への信頼回復を取り戻したいと決意を新たにしています。(国会レポート第28号 1998年1月)

 21世紀は「官僚」ではなく「民衆」の時代。公務員の腐敗体質を一掃する公務員倫理法、情報公開法の制定、財源移譲を伴った地方分権を進めたい。昔からの民衆社会である大阪人の出番と感じる。今年も頑張ります。(国会レポート第33号 1999年1月)

 私の今年の目標は、ちょっと欲張って12項目。(1)信頼できる年金制度の構想(2)安心できる医療提供体制の確立(3)雇用の創出と働き方の見直し(4)救急医療体制の整備(5)難病対策の確立(6)在外被爆者への援護法適用(7)自殺防止体制の整備(8)創薬や新医療法の開発体制整備(9)障害者の投票権保障(10)交通事故防止議連の活動拡大(11)国際たばこ条約 への参加(12)子育て支援のための「こども保険」構想の練り上げ。
  少しでも目標達成に近づけたい。また、昨年の臨時国会から、参議院厚生労働委員会の野党筆頭理事を勤めている。委員会での議論も活発にして、政治を動かせるよう頑張りたい。(蝸牛のつぶやき 2003年1月5日)



<13年間を振り返って>

 
平成5年、14年前の衆議院選挙に立候補して、初当選をさせていただいて、途中、落ちましたけれども、13年間、議員の活動をさせていただきました。救える命があるのに次々と失われている、それは絶対政治の責任や、政治の出番があるはずだというのが、私がこれまでずっと活動してきた中での思いです。せやから、いのちにかかわるような問題、臓器移植、薬害エイズに最初取り組みました。シーツを傘の柄でこうやって上げて、患者に直接手を触れない、そんな医者がおってええんかとそんなふうに思いましたし、安全な薬ができていても、危ないとわかっている薬を売り続けている製薬会社もおかしいし、それを知っていて止めなかった厚生省もおかしいんやないかというのが、私が43歳で初当選したときに、最初に出会った問題だったんですね。その後、年金や医療や介護やいろんな問題をやってきました。(あしなが育英会リーダー研修会 2007年7月7日)


<選挙の話>

1993年7月 衆議院選挙 (日本新党から初出馬 当選)

 私は、約800万円に選挙費用を抑えた。だが、どうしてもそれが信じられない人たちがいる。数億円かけても当選できない候補もいるという日本の金権選挙においては、私の選挙を「信じてください」という方が無理なのかもしれない。私の選挙には、友人や知人、そして多くのボランティアが力を出してくれ、今までには考えられなかった選挙になった。選挙中は、かかった費用を公開し、帳簿も公開した。自民党の金権腐敗政治を打破するために私たちは燃え、その結果、私は当選した。(「夢ある日本への道しるべ」1994年11月)


1996年10月 衆議院選挙

 選挙制度の改正に伴い、近畿比例区より立候補し再選される(新進党)。(ホームページ「プロフィール」)


2000年6月 衆議院選挙(小選挙制度のもとで戦う初めての選挙 落選)

 明日はいよいよ、衆議院選挙の公示日です。車にのって名前を連呼するばかりではなく、辻々に立って政策を語り、市民の声、現場の声を聞く。対話から始める。そんなスタイルが、政治を変えていくのではないでしょうか。明日から12日間、「何でやねん」をエネルギーに、自転車に乗ります。たくさんの人と出会いたいと思っています。(蝸牛のつぶやき 2000年6月12日)


2001年7月 参議院選挙(小泉旋風の中、当選)

 
いよいよ明日から参議院選挙が始まります。21世紀最初の、また、小泉内閣発足後、 初の国政選挙です。・・・民主党の政策への理解を求めて、大阪府内を歩き回っています。商店街では、シャッターの閉まった店が多いことに驚きました。私が育った、大阪市内の南久宝寺町の問屋街も、歯が抜け落ちてぼろぼろになったような状態でした。倒産の張り紙も目にし、胸が痛みました。淀川区の商店街で、七夕飾りの短冊に、「お父ちゃん、リストラされへんように」と書いてあるのを見たときは、景気の悪さが、子供たちの心にも暗い影を落としている と痛感しました。大変な状態です。・・・小泉人気はすごいけど、小泉さんが崇拝する市場原理至上主義、役に立たないものや無駄なものは切り捨てればよいとの「超合理主義」の危険性も感じています。国民の皆さんも気づいて欲しいと願っています。(蝸牛のつぶやき 2001年7月11日)


2007年7月 参議院選挙 (がん患者として2期目に挑戦、当選)

 今は、やれるところまでやろうと思います。いのちを見つめる、大切にするという仕事。それが政治家の一番の役割と考えて、国会議員となり、国会活動に取り組んできた13年間です。その仕事を続けられる機会があるのなら、自分から捨てると、怒られそうな気がするのです。進行がん患者に対するイメージを変える、それが、がん対策推進の基礎となるとも感じていますので、その機会が与えられているとも思います。(蝸牛のつぶやき 2007年5月20日)

‘07 参院選選挙 マスコミ語録


手探り状態だが、自分の体力の許す範囲でやれることをやる。昔から付き合いのある仲間や友人でどの程度、(支持が)広がっていくのかなあと思っている。名前を書いてもらうことがいかに難しいか…」(夕刊フジ 2007年6月19日)

病気を抱えても世の中変えたい(スポーツニッポン(大阪版)2007年7月9日)

「病気になったら何もできなくなるマイナスの人生でええのか。自分しかできない国会での仕事があるやないか」(朝日新聞(大阪版) (07/07/13)

「”先生は希望の星です”と言ってくださる患者さんがおられると、やれるところまでやろうと思います」日刊スポーツ (07/07/16)

「『まだ仕事があるよ』『やり残していることがあるから』という声が私を国会に残してくれた」読売新聞 (07/07/30)

医者からは重病人と言われ、候補者らしからぬ候補者だったが、ともかく最後まで選挙ができて、おまけに当選までさせてもらい、不思議な気がしている。(朝日売新聞「窓」 (07/07/31)

天から『あなたの出番を作りましたよ』と言われた気がする。6年は無理かもしれないが、命ある限り仕事をしたい」朝日売新聞「天声人語」 (07/08/01)