山本孝史の記録
第一章 いのちの政治家(国会質問 4.社会保障<1>)
 
福祉制度を使えるよと教える教育プログラムを
丹羽雄哉厚生大臣に質問 

- 衆 - 厚生委員会 - 平成12年03月14日

山本(孝)委員 私はずっと交通遺児家庭の援助をしてきましたけれども、九割まで母子家庭で生活保護を受けたがらないんですね、生活保護水準以下でみんな頑張っている。いや、そうじゃないよ、ここはみんなの力をかりて、ちょっとここで立ちどまって、とまり木の上にとまって、それで自分たちの家庭をもう一遍立て直すということでいけば生活保護を受けたっていいじゃないのと言うんですが、なかなか皆さん受けられない。それは、やはり社会保障とか生活保護とか社会福祉というものに対する意識を市民が学校教育の中でちゃんと教えられていない、こういうふうなところに思いが至らないのではないかなと思うんです。
  きのう質問取りに来られたので、文部省の守備範囲かもしれないけれども、学校教育プログラムの中で人権というものを教える、あるいは、社会保障、社会福祉システムについて、制度の仕組みを教えるのじゃなくて、そういうものがあるよ、使えるよということを、例えば童話のような形でもいいし、いろいろな形でもって子供たちに教えてあげる。児童虐待の話にしても、CAPの皆さん一生懸命やっていますけれども、子供たちにそういう意識を持たせることがとても大切だと思うんです。
  ちょっと守備範囲を超えるんですけれども、文部省と協力しながら、そういう社会保障に対する意識を高めてもらうようなプログラムを開発して、ぜひ実施をしていただきたいとお願いをしておるんですが、いかがですか。

丹羽国務大臣 宇都宮におきます事件は、委員御指摘のように、まさに豊かさの中の貧困ではないか。まことに痛ましい事件でございますし、最低生活を保障する生活保護による援助が、結果として最も援助を必要とする家庭に届かなかったということで、大変遺憾に思っているような次第であります。
  生活保護制度を初め社会福祉制度につきましては、たとえ本人が詳しい仕組みを知らなかったとしても、地域全体で困窮している方々を見守って、今学校の話も出ておりましたけれども、必要な支援が行われるようにすることが何よりも大事なことではないかな、こう私は考えております。
  こうしたことから、厚生省といたしましては、社会福祉制度の周知につきまして、委員が御指摘のように学校教育などとの連携を図りながら、その徹底を今後図っていくことが何よりも大切だ、このように考えているような次第でございます。

山本(孝)委員 質問が長くなって答えるのがあれになってしまうのかもしれませんが、ぜひ学校教育プログラムで人権というものを教えていく、あるいは子供たちにちゃんと権利があるということを教えてあげる、そういうものは文部省と厚生省の中で考えられないですか。そういう連携をしてみようという気はないですか。

丹羽国務大臣 当然、考えられ得るものと考えております。事務局同士でその辺のところをよく相談をさせたい、このように考えております。

山本(孝)委員 よろしくお願いさせていただきたいんですが、その前提として、人権ということについては、厚生省の中の高齢者の部分でも障害者の部分でも、それからいろいろな部分でも、それぞれの方たちは当然考えておられると思うんです。思うんですけれども、厚生行政、福祉行政がそういう個々の人たちの人権というものを大切にしながら動いているんだということを、厚生省の中で施策をチェックする、進行状況を調整するような部局が、聞きましたら、ないとおっしゃったので、官房かどこかが中心になってそれぞれの施策がどう動いているのか、もっと人権というものに配慮した政策展開をどうしたらいいのか、各担当は考えておられるけれども、省全体でそういうものを考えるような仕組みづくりは考えられないですか。

丹羽国務大臣 これまでも、こういった問題につきましては、必要に応じて関係者の皆様方にお集まりをいただきまして、やってまいりました。
  それから、他省庁の問題も、要するにこれから横断的に考えなければならない問題でございますので、当然のことながら、十分に実務者レベルで綿密な打ち合わせをして、いずれにいたしましても、前者の問題にいたしましても、この問題にいたしましても、より実効性が上がるようにしていかなければならない、このように考えています。

山本(孝)委員 人権教育のための国連十年があって、今動いています。国際課で担当しておられるそうですけれども、国連だから国際課というのじゃなくて、ぜひ厚生行政全体で考える仕組みにしていただきたいというふうに思います。

 
社会福祉事業法等改正審議で基本的理念を問う 日本の社会保障制度の中に施しという考え方がずっとあった
丹羽雄哉厚生大臣 に質問

- 衆 - 厚生委員会 - 平成12年04月26日

山本(孝)委員 山本でございます。まず最初に、今回の改正に当たっての考え方ということですが、端的に御質問申し上げれば、福祉サービスの基本的理念ということについて御説明をいただきたいというふうに思います。
  新しい社会福祉法の第三条、「福祉サービスは、個人の尊厳の保持を旨とし、」というふうになっているわけですけれども、この個人の尊厳の保持を旨とするとはどのようなことを意味しておられるのか、また、その文言が今度の改正案にどのような形で反映をされているのか、その点をまずお聞きをしたいと思います。

炭谷政府参考人 ・・・ あえてその意味を私なりに理解いたしますと、一人の人間として尊重されるということではないのかなというふうに思っております。この趣旨が第三条に書かれているわけでございますが、これは、個人の選択が認められておらない現在の措置制度のもとでは、個人の尊厳という観点から考えますといかがかなというようなところがございます。
  そこで、今回の改正では、利用者がサービスをみずから選択して利用できる制度にするところに個人の尊厳が最大限に尊重されるところもございますし、利用者の利益を保護する仕組みとして地域福祉権利擁護制度とか苦情解決制度というものもこの理念を具体化したものでございますし、一方、福祉サービスの提供に当たっての配慮事項、また質の評価の場合においても、その基準になるのがこの個人の尊厳ということではないだろうかという形で具体化しているわけでございます。

山本(孝)委員 ・・・今回、措置というところでは個人の尊厳はなくて、契約にすることで個人は選択できるのだからその尊厳がある、こういう御答弁なんですね。
  恐れ入りますが、大臣にお伺いします。質問は二つです。
  今現在、日本の社会福祉各法律が行われている中で、個人の尊厳の保持は保障されているのか、あるいは保障されていないのか、この現状をどうお考えになっておられるのか。そして、今御答弁にあったように、措置制度から契約制度に変わることで個人の尊厳の保持という福祉サービスの基本的理念は実現できるというふうにお考えなのか。この二点についてお考えをお聞かせください。

丹羽国務大臣 ・・・これまで社会保障におきます給付サービスというのは、どちらかといいますと限られた特定の人にあったわけでございます。そういう中において、措置制度というのは行政措置でございまして、あくまでも行政の方から特定の人々に対して給付サービスを施すというような発想がなきにしもあらず、こういったようなことがあったのではないか、こう考えているような次第でございます。
  それから、今回、この四月から実施をいたしております介護保険制度を追認した形にもなるわけでございますけれども、これからは利用者が選択をしてみずからの意思によって契約をする、こういうような方向を求めていくということでございます。 ・・・

山本(孝)委員 憲法の規定を申し上げるまでもなく基本的人権は尊重されなければならないとなっていて、それが措置制度をとっていたがために実は実現していなかったのだ、今大臣の御答弁なり厚生省の御答弁を聞いていると、そういう流れになるのですね。措置制度であったがゆえに個人の尊厳の保持はできなかったのだ、だから、契約制度に変えればそこは個人の尊厳が保持される、こういう答弁の流れに聞こえるわけですが、違いますか。

丹羽国務大臣 私は、そうは申し上げておりません。必ずしもとかというように申し上げておるわけでございます。
  基本的に、措置制度の中においても当然のことながらそれぞれの個人の人権であるとか権利であるとか、こういうものは尊重して行われてきているわけでございますが、どちらかと申しますと、例えば老人ホームなんかに入っている場合、これまで入居している中には、言いたくても言えないんだ、私どもは、例えば特別養護――すべての方がそうとは申しませんけれども、老人ホームに入れていただいているのだというような意識があって言いたいことも言えない、こういうようなことがなきにしもあらずだ。
  私どもは、先ほどから申し上げましたように、社会の環境の変化とともに、さらに、新しい社会事業法の中で、社会福祉の改正の中において、こういったものを強めていくということが何よりも求められていることではないか、こういう認識でございますし、措置制度のもとにおいてそういったものがすべて守られているというようなところに立つものではございません。

山本(孝)委員 これは介護保険のときも議論になりました。今高齢者のことをおっしゃいましたけれども、高齢者に対する介護サービスが措置制度から契約制度に変わることで、従来の高齢者の人権が損なわれてきたところがなくなるのだというお話ですが、そうではないのです。
  もともと、措置制度であろうが契約制度であろうが、人権を守るなり個人の尊厳を保持するということは、それなりの手だてが講じられていないと実現しないことであって、これは措置だから施しであったので、したがって、個人の尊厳は守られなかったのだという説明は全く説明にならない。従来やってきたことを、きっちりと検証していないということだと私は思うのですね。
  今、選択制になったからあるいは高齢者も言いたいことが言えないから大変に厳しい立場に置かれているのだとおっしゃいましたけれども、言いたいことが言えない状態は、介護保険制度という形で措置から契約制度に変わっても何ら状況は変わっていません。なぜか。それは、サービスの量が少ないからです。サービスの量が少ない中では、絶対に権利を主張することはできません。要らないことを言えばそこから追い出されてしまうという思いは、常に入居者の側は持っています。
  したがって、この話は契約であろうが措置であろうが、そういった制度の変更にはかかわりのない話だと私は理解しています。そう思われませんか。

丹羽国務大臣 四月から変わったからといって、すぐにくるっと変わるようなものではないことは、委員も十分に御理解いただけると思います。
  しかし、今回の社会事業法の中においてこういった理念を高く掲げることによってこうした流れの中に進んでいくのではないか、私はこう思っているような次第でございますし、また、そういうふうにしていかなければならない。これが、何よりも今回の法改正の目的でございます。
  確かに、例えば措置制度のもとにおいては、なかなか言い出しにくい面があるのではないか、そういうような面があったことも事実でございます。現に、まだまだ代理受領であるとかさまざまな形はございますけれども、基本的には、今度の改正によりまして例えば施設にお金が行くのではなくてあくまでも利用者である個人に行くのだ、こういうような形によって個人の権利というものがより守られる方向に流れていく、私はこのように考えているような次第でございます。

山本(孝)委員 大変青臭い議論をしているように聞こえるかもしれませんけれども、ここは、措置制度から契約制度というか今回の法律をつくられたときの現状の認識と、今後どういう社会保障、社会福祉制度を日本の社会の中に構築していこうかというときの基本的な考え方の部分だと思うのですね。
  何回も申し上げているように、措置制度であったから施しになっていたのだというのは、それは措置制度というか日本の社会保障制度、福祉制度の中に施しという理念をずっと持ってこられたからであって、基本的にそれが間違いであったのだという認識の上に立たないと、これからの制度はよくなっていかないと私は思う。そういう目で見て、今度の法律は書かれているのだろうか。そうでもないような気がところどころするわけですね。・・・先ほど大臣がおっしゃったように、行政の措置というのは施しである、そのことが間違いであったと。そうではない、個人の尊厳あるいは個人の人権、自立を、それぞれ一人一人を見ていくのだということを考えたときに、これは言葉の上でのひっかかりを持っている私が心が狭いのかもしれませんけれども、「機会が与えられるように、」と書かれますと、基本的な理念でおっしゃった、個人の尊厳の保持を旨とするというところと話は必ずしも一致しないのではないか。そんなふうに思うのは、私の心が狭いのでしょうか。

炭谷政府参考人 第四条におきまして「機会が与えられる」というような表現を使われておりますのは、現行の障害者基本法の基本的な理念とか身体障害者福祉法などの規定ぶりを参考にしたものでございます。
  その意味するところは、障害者の方々などが、障害のない方々と同様、あらゆる活動に参加する機会を均等に有するという趣旨をあらわしたものでございます。

山本(孝)委員 機会を均等にするというのであれば、例えば、あらゆる分野の活動に参加する機会が保障されるとか、機会が均等でなければならないとか、機会が得られるようにとかという書き方があると思うんですね。確かに、改正前の法律の「基本理念」のところでは、今回も使われているように「参加する機会を与えられるとともに、」と書いてあります。
  今御説明のとおり、旧法のその条項をそのまま使ったんだということですけれども、これだけ抜本的な法律改正をするときに、基本理念のところに「個人の尊厳の保持を旨とし、」というふうに入れ込んだのに、なぜ昔の法律の文章をそのまま使う形になってしまうのか、そういうチェックの目は働いていないんでしょうかと私は思います。(大野(由)政務次官「旧法は措置法です」と呼ぶ)そうです。旧法は措置法ですから、旧法の措置法の部分の表現をそのまま持ってきたのでは、前の精神はそのまま残ってしまうじゃないですか。
  だから、私は、言葉じりをとらえるようで恐縮ですが、そういったところにこの理念はしっかりと反映されているのだろうかと思うわけです。今の御答弁だと、参加の機会は均等に保障するとおっしゃいましたので。
  私も、二十一世紀の日本社会はバリアフリー社会という形で、単に工学上の問題、建設上の問題じゃなくて、社会の制度やさまざまなところで今障壁、障害が高くありますから、とりわけ障害者の方たちあるいは弱い立場の方たちに対して、そういう参加の機会を均等に保障していくための制度の見直しをすべきだと思いますけれども、この「与えられる」という言葉が私はひっかかりを持ちます。ぜひ、こういう大改正をされる折ですので、もう一度見直せるところは見直していただきたいなと思います。