「ルビコンの決断」感想集3
 
先生の「1日一生」は言葉は違っても僕も同様に日々を大切に生きています。先生のように、人々に多大なご貢献を残された余命は無理ですが回りの人々に迷惑をかけないよう、悔いの残らない生活を心がけています。番組の後、涙が止まりませんでしたが、再度、勇気をいただきました。
 

主人と見ましたが涙が止まりませんでした。 私たちから見えないところでは、いろいろな葛藤があったんですね。 当たり前のことだけれど、いざ映像で見ると、リアルでしたねえ。

孝史さんのガンがわかってからの人生は何とpureであったことか! 全てが昇華された潔い時間だったんですね。 表には出ない葛藤を通り越した清々しさだけが私たちには伝わってきました。

去年の夏、京都に住む姉が乳がんの手術をしました。取り合えず現在は元気に暮らしていますが先のことはわかりません。ただ姉でなくても私だって何があるかわからない、先のことはわからないのは同じですからね。今を大事にしながら生きていかねば、と思います。

どうぞ孝史さんが、ゆきさんに託された仕事、がん患者が平安に暮らしていける社会の実現に向けてがんばってください。かげながら応援しています。

 

先日、熟塾の原田彰子さんのご案内でテレビ・ドラマ「ルビコンの決断」で孝史さんとゆきさんの素晴らしい夫婦愛のドラマを拝見することができました。

政治家とは、政権を取って末は大臣・総理になることが目的ではなく孝史さんのように弱い立場の人間に国として必要な援助を行い、こころ豊かな国をつくることが目的のはずですよね。それは必ずしも政権をとらなくともできるのだということが、孝史さんの命がけの挑戦で証明されています。

熟塾に孝史さんが顔を出されても国会議員風を吹かすわけでなく、まして選挙民でもある塾生達にごまをするわけでない孝史さんの飄々とした姿勢が今も目に浮かびます。やはりそれも政治を誠を尽くしてやっているという自負があるから堂々とされていたのでしょう。

ゆきさんもよく孝史さんを支えられたから彼も心置きなく真の政治に没頭できたのだと思います。よく尽くされましたね。「ルビコンの決断」は、いいドラマだったと思います。なにか小生のように定年を過ぎていても自分のできることで人のために役立てるようなことに没頭したいという気持ちと勇気をもらったように思いました。ありがとうございました。

 

「ルビコンの決断」家族で見ました。山本孝史さんの命を懸けた思いに、少しでも協力できた自分に満足しています。熟塾で、朝鮮通信使の料理を味わった「花外楼」で自己紹介のあと、孝史さんが自ら「集英小学校の後輩です」と挨拶に来られ、吃驚したことを今でも鮮明に憶えています。今をときめく国会議員さんが、僕のような者に自ら挨拶に来られるなんて今の世の中、絶対ないと確信していましたのに。

それからです、山本孝史さんの業績や動きを興味を持ってみたのは。素晴らしい人でした。政治家らしい政治家でした。偉ぶらない、皆の意見を良く聞いていました。そして皆を導いていました。これこそ政治家の鏡だと思いました。それから大好きになりました。

ゆきさんも同じです。今をときめく国会議員の奥さんとは思えませんでした。偉ぶらない、骨惜しみのない働き、気配り、前向き意見など等、貴女も素晴らしい人でした。

僕は20日間入院したことありますが、そのときの医師や看護婦の行動には本当に頭が下がりました。彼らは志を持って医師や看護婦になっているといっても、あんな労働条件の下で働かせるのは気の毒だと今でも思っています。是非そのあたりも考え、「大阪がん医療の向上をめざす会」で活躍されることを祈ります。

 

日経新聞の番組欄は、5/21 写真入りで、「末期がんを宣告された政治家の命を懸けた決断の再現ドラマ」を紹介していました。

田中健さんが山本孝史さんで、元祖ぶりっこアイドルの大場久美子さんが、山本ゆきさんですか。「・・・。」「・・・。」と、初めのうちは、押し黙ったままテレビドラマを見ていましたが、時々田中健さんが、孝史さんに似てる瞬間があって、「孝史さんが、降りてきてるのかな・・」と、思ったりしました。お二人とも熱演でした。残された時間を、弱い立場の人たちのために、全力で駆け抜けておられた山本夫妻のお姿を、あのとき悲壮感の中にいた私は、今 静かな感動をもって見つめました。

番組「ルビコンの決断」に関わった方々全てが山本孝史さんを、讃えておられましたね。やはり癌を体験した鳥越俊太郎さんの、「全力疾走された山本さんの人生は、幸せなものだったと思う。」というようなコメントに深く頷きました。

尾辻秀久元厚生相の哀悼の言葉を、この番組で聞きながら私も目頭を熱くしました。きちんとりっぱに語らなければと、冷静な表情を努めようとする尾辻さんの瞳は哀しみの色をたたえ、声は涙の湿気を含んでいました。ライバル民主党議員の足跡を、しっかりと国会の歴史に刻もうとする尾辻さん渾身のスピーチでした。人間尾辻氏の、思い、葛藤にも私は心を馳せました。

画面が変わり、山本孝史さんのあとを継いで、癌患者の家族のお世話をする尾辻氏の姿が映し出された時、「このひとは今、魂で山本孝史さんと語り合っているのだ。」と、心を打たれ、涙で胸を熱くしました。

 

私は現在、作業療法士というリハビリ専門職として病院に勤務しており、緩和ケアチームの一員として業務に従事しております。また、日々の業務とは別に、がん緩和ケアにおける作業療法・リハビリテーションの推進と連携を目的に小さな活動ではありますが活動を行って参りました。

これまで、緩和ケアでの作業療法士の役割は?と聞かれると難しい言葉を並べて、わかりにくい説明ばかりしていたように思いますが、すべては山本先生のメッセージにつきると、番組を見ながら思いました。そのメッセージを是非日本全国の作業療法士にも伝えたい。そして、全国のがん医療のほんの一部ですが、リハビリテーション・作業療法士が「生きること」を支える専門職の一人として活動を始めるセラピストが一人でも多く現れたらと思っております。

今日、テレビの先生のメッセージが私たち作業療法士にも大きな励ましを頂いたように感じました。『「がん=リタイアではない」と先生が最期の最期まで国会に立っておられた姿』を拝見し、たとえ、がんで体が動きにくくなっても、その人がその人らしい生活・人生を送れるようにリハビリテーション職種としてできることはたくさんあるし、それがどこにいても受けることができる日本を作っていかなくてはいけないと強く感じました。

最期の時、「幸せな充実した人生でした。皆さんありがとうございました。さようなら。」を先生が残されたように、一人でも多くの人がその最期の時までこのような人生を送れるように医療に携わる一人として頑張っていきたいと思いますし、自分もそうでありたいと強く思いました。ありがとうございました。

 

がん対策基本法ができるまでの苦しい戦いを知る者として涙を流しながら、テレビを観ました。6月に山本議員から、「今、超党派で基本法の枠組みを作っているが、がん患者さんたちは何を求めていますか」とお電話がありました。がん患者ネットの一人として厚生労働委員へお願いに行った時に、名刺をお渡しした記憶はあるのですが、議員とお話をしたのは生まれて初めてでした。その時、国に働きかけをしていた主要メンバーが外国に行って連絡が取れず、仕方なく、私に連絡が入ったようでした。生まれて初めて、議員さんと「がん患者ネット」とのやり取りをつないで、世紀の瞬間を、後ろの後ろでほんの少しお手伝いをしました。私の一生の宝物です。その後、がん対策基本法の附帯決議に入れてほしいと押しかけて、「緩和ケア」や「在宅ケア」をアポも取らずに2時間も話してしまいました。山本議員はいやな顔一つせずに熱心に聞いて下さり、緩和ケアを生まれ変わらせてくださいました。本当に感謝しています。

基本法が出来てからの、意見交換会、協議会に、本当に今にも崩れてしまうのではないかと心配する状態なのに、ずっと見守ってくださいました。ありがとうございました。

今、私たち全国の患者・家族委員は、山本孝史さんがいのちを張ってくださった「救えるいのちを救うために」を実現するために、本当にがんばっています。まだまだ、力不足で充分ではありませんが、それでも、みんなで力を合わせて日本に住んでいてよかったと思えるようにがんばっていきます。

山本孝史様 本当にありがとうございました!!これからも、私たち、がん患者と家族を温かく見守って下さいね。

 

孝史さんは病んでる時も国会の質疑に参加をして普通、わが身一番なのに公の場で国民に訴えて・・・。かなり無理をしてたと思います。だから僕みたいな世間知らずにも理解が出来たのですね。

少し前は薬剤問題とかを報道は取り上げていましたが、最近は知らん顔ですね・・・。色んな病状で戦ってる人が居てるのに・・・。

いずれ人は死を向かえますが、総ての方が平等に迎えれる社会を望みます。暗い話ですが大切な事と思います。当方も自営業なので今の時代は厳しいです。

たまに同業の人が「死んだ方がいいな」と言います。僕は孝史さんの影響か、生きてるからこそ乗り越えれるのと違うのって思います。

時代や社会は生き物と同じだと感じてますから「今やで!」と言いたいです。生きてこそ社会貢献だと思います。

 
ゆきさん!

孝史さんの生涯は、今の政治不信を払拭し、こういう政治家、いや人間がいたということを示し、若者に限らず多くの人たちが人間への信頼を取り戻すのではなかしら。番組については、残念ながら地上波では見ることが出来ませんが、事務所内にBSをもっている人がいるのでDVDにとってもらい見ることにします。ゆきさんの仕事として、どんどん先生の遺志を伝えて行ってほしい。