プロフィール
誕生から大学卒業まで
1949年(昭和24年)
7月7日
疎開先の兵庫県芦屋市で生まれる。
11月
父、隆一の経営する「エビスはぶらし」(大阪市東区南久宝寺町)の近隣、大阪市南区順慶町1丁目(じゅんけまち=現大阪市中央区南船場)に転居。
 
 
 
1955年(昭和30年)
2月2日
兄、亘彦(のぶひこ。当時、大阪市立集英小学校2年生)を、自宅前でトラックに轢かれ亡くす。その後の山本の人生に、さまざまな影響を与えることとなった。
 
1956年(昭和31年)
3月
桃園幼稚園(大阪市中央区)卒園。夏に罹った百日咳で、学芸会での「小さな靴屋さん」のナレーター役ができず残念。せっかく父親が購入したテープレコーダーで練習したのに。在籍日数も足らず、卒園式では後ろに座っていた。
4月
大阪市立集英小学校(児童数減少のため統合され、現在は開平小学校)に入学。杉田校長先生、担任の水本先生には国会議員になった後もお世話になる。
 
1962年(昭和37年)
4月
大阪市立船場中学校(生徒数減少のため廃校)に入学。社会科クラブでは市内研究発表会で1年生ながらに発表者に抜擢される。園芸部にも所属。
 
1963年(昭和38年)
11月23日
父の仕事の関係で府下八尾市刑部に転居。ケネディ暗殺のニュースが流れていた。
 
1965年(昭和40年)
4月

大阪府立清水谷高校(大阪市天王寺区)入学。前年、父の友人の紹介で行った大阪YMCA六甲キャンプ場や御在所岳への登山が楽しく、ワンダーフォーゲル部に所属。合宿は良い思いで。<写真>

 
 
1968年(昭和43年)
4月

立命館大学産業社会学部入学。  

7月
中学生の時に味わった楽しさを後輩にもとの想いから、京都YMCAの琵琶湖サバエキャンプ場でのキャンプカウンセラーの応募。夏休み中、日焼けしながら、お兄さん役を担う。
 
1970年(昭和45年)
3月
大阪万博開催。身体障害者の介助ボランティアに応募。これがきっかけとなって、大阪ボランティア協会(当時は大阪市南区心斎橋)のボランティアスクールを受講。
8月

この大阪ボランティア協会で、全国学生交通遺児育英募金を呼びかけていた秋田大学生の生路さんと運命の出会い。交通遺児作文集「天国にいるお父さま」に感涙。夭折した兄の無念さや、両親の悲しみに思いを馳せる。<天国にいるお父さまの表紙> リンク⇒別項

募金活動の手伝いを頼まれ、10月の交通安全旬間の10日間、梅田花月前で街頭募金に立った。

12月

募金参加者に呼びかけて、ボランティアグループ「大阪交通遺児を励ます会」を結成。飯野俊男君という得がたい仲間を得て、交通遺児と母親の作文集「おとうちゃんをかえせ」の発刊、レクリエーション、政治への要望の会などの活動を展開。市民活動の芽生えでもあった。<作文集の表紙>

 
1971年(昭和46年)
4月

大学4年生なのに就職活動もせず、交通遺児救済運動の全国展開をめざして、同運動の指導者の玉井義臣氏(当時、交通遺児育英会専務理事)と一緒に活動。<写真><共同通信の呼びかけ記事>

 
 
 
 
   
交通遺児育英会時代
1972年(昭和47年)
3月
立命館大学産業社会学部卒業。ゼミ担当の野久尾教授から「実践活動も大事」との“お墨付き”をいただいて、在学中は励ます会の活動に没頭。卒業と同時に、財団法人交通遺児育英会に就職。 <日経新聞の「人生抄」>
 
1973年(昭和48年)
5月
物質至上主義や大量消費時代に警鐘を鳴らす社会運動を展開。玉井義臣氏が提唱した「ユックリズム」は流行語にもなった。「ゆっくり歩こう運動」や「一台の自転車“赤とんぼ号”を乗り継いでの日本一周」(6月)などを実施。世直し運動でもあった。
 
1981年(昭和56年)
6月

玉井先生の導きで留学した米国ミシガン州立大学大学院修士課程を修了<写真>。専攻は家族社会学で、高齢者福祉や、フィランソロピィ(社会貢献活動)、「生と死」への知見を深めた。帰国後、交通遺児育英会に復職。

 
19●年(昭和●年)
 

交通遺児育英会事務局長に就任。「あしながさん」の温かい心に支えられ、多くの遺児たちの高校・大学等への進学を支援。<あしながさんのカット>

 
1993年(平成5年)
6月
衆議院選挙立候補のため退職。
 
衆議院議員時代
1993年(平成5年)
7月
旧大阪4区から衆議院選挙に立候補(日本新党)。「政治が動く、その日まで」を合言葉に交通遺児救済運動を展開したが、政治は動かない。では、自らが動かそうと思ったのが動機。ボランティア選挙、お金のかからない選挙を展開し初当選。<写真><写真>
 
1996年(平成8年)
10月
近畿比例区より再選(新進党)

衆議院議員時代は、厚生委員会に所属(委員会では初当選直後から理事を務める)。年金や医療制度改革、介護保険の創設など、社会保障制度を巡る諸問題に取り組む。薬害エイズの真相解明に全力で取り組んだ。臓器移植法では対案を提出し国会内での議論をリード。交通事故をなくす国会議員の会事務局長も務める。<写真いろいろ>

 
2000年(平成12年)
6月
衆議院大阪第14区で惜敗(民主党)。
 
 
 
   
参議院議員時代
2001年(平成13年)
7月 参議院大阪選挙区から立候補し初当選。参議院厚生労働委員会に所属。
 
2003年(平成14年)
11月 民主党新緑風会幹事長に就任。04年の参院選での民主党躍進に貢献。
 
2005年(平成17年)
10月 参議院財政金融委員長に就任。
12月 胸腺がんと診断される。
 
2006年(平成18年)
1月 財政金融委員長を健康上の理由で辞任。
5月

参院本会議での健康保険法等改正案の代表質問を行なう。がん患者であることを公表し、がん対策基本法の制定を訴える。6月、同法が成立。

 
 
 
 
 
 
<主な役職>

◆ 国会での所属委員会(平成17年10月現在)

参議院財政金融委員会、政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会、憲法調査会

(参議院でこれまでに)厚生労働委員会、予算委員、決算委員会、行政監視委員会、災害対策特別委員会、少子高齢社会調査会、年金制度をはじめとする社会保障制度改革に関する両院合同会議メンバー。

◆ 民主党での政策調査会での役職(平成17年10月現在)

自殺総合対策WT座長、「被爆者問題」事務局長、ホームレス自立支援PT座長、中国残留邦人の自立実現をめざす民主党懇談会事務局長、

(参議院でこれまでに)民主党次の内閣厚生労働大臣、民主党年金改革プロジェクトチーム座長、難病対策作業部会副主査、

◆ 審議会委員就任歴

社会保障制度審議会委員(衆院)、国土交通審議会委員(参院)

◆ 民主党大阪府連合会(平成17年10月現在) 代表代行

 
<家族・趣味>

■ 家族: 現在、大阪市天王寺区にて妻と二人暮し

■ 趣味: 落語や文楽、歌舞伎の鑑賞。ガーデニング<リンク>。テニス(お休み中)

■ 座右の銘: 「我一粒の麦とならん」

■ 好きな作家: 安部公房

■ 好きな詩人: 金子みすず

■ 好きな歌手: 三橋美智也、ちあきなおみ

■ 動物キャラ: 頼られると嬉しい羊さん

 
(「動物キャラナビ」より。山本は、「頼られると嬉しいひつじ」です。)