座談会: 国民負担を考える(税と国民負担)
Discussion Journal「民主」第3号 2002年12月発行
国民負担増は必ずしも経済活力を殺ぐものではない
若林
国民負担の増大は、経済活力に負の影響を及ぼすのではないかということが言われていますが、各国の国民負担率の比較を見ると日本は必ずしも先進欧米諸国と比べて高くはない状況です(左ページの図参照)。「国民負担」という言葉を使う時、いつも「負担」のみが強調され、「受益」の視点があまり含まれていません。国民負担イコール悪ではなく、国民の合意を踏まえたリターンとしての「給付」を含め、経済とのバランスの中で考える必要があるのではないかと思います。
田中
滋慶應大学教授 国民負担は、国民が政府に一方的に所得の一部を召し上げられる値としてではなく、そのうちどのくらいが「社会保障給付などを通じてわたしたちの生活の支援、自立の支援のために使われているか」と比べて判断すべき値です。国民負担が高く、それを政府が、古典的な例では王様が自分の城を建てる費用にあてているのなら、たしかに「重い負担」と言えるでしょう。しかし、その多くが国民生活を支える使われ方ならば、「負担が高い状態」すなわち「生活苦」との因果関係は成り立ちません。
現に、税・社会保障負担率も社会保障給付率も高い北欧諸国は、いずれも世界の一人当たりGDPトップ一〇以内にほぼ二〇年間入り続けています。その意味では、社会保障給付が高いと就労意欲が減退する、あるいは負担率が高いと経済が停滞するなどという証拠は見出せません。逆も真で、負担率や社会保障給付が高いと経済が良いとも言えない。負担が低いか高いかは、だれが何を分担するかをあらわしているだけなのです。
国民負担率と経済の関係は、言わば「夫婦の家事分担率とその家に活力に必然的な関係が見られるか」を問うに等しい。活力の高い家でも、低い家でも、夫婦が家事を分担しあうケース、妻が家事を多く負担するケース、その逆のケースのいずれもが存在しえます。つまり、負担率論は、社会がいずれにせよ果たすべき仕事をだれが負担しているかをめぐる話にすぎず、活力と結びつける議論はナンセンスとみなしてよい。
若林
しかし今の政府を見ていると、最初から「負担率抑制ありき」を前提に議論している感じがします。社会にとって必要なニーズは、むしろきちっと反映させていくことが活力になるという発想が必要ではないでしょうか。
田中
もし政府がそのような考え方をもっているとしたら、それは間違っていますね。社会の安心感のうえにはじめて市場経済もきちんと生きるとの観点からは、日本の負担率は低過ぎると思います。
村上
忠行連合副事務局長 社会保障というのは実は社会の活力を発揮する基盤だということが、どうも日本の中で理解されていない。何かムダのように言われますけれども、資本主義がなぜ勝ち残ったのか。市場主義、市場経済の持っている負の部分をいろいろと修正してきた。その一番基盤になったのが社会保障だ。社会保障によって安心を与えて、その安心感に基づいてみんなが働く。また向上する活力が生まれる。
負担率が議論になったのは、最初は対ヨーロッパとの比較でした。ヨーロッパが何故一時期停滞していたのか。いろんなストックがあるじゃないか、社会保障も充実しているではないか。どこかの学者が「国民負担率が高いからヨーロッパに停滞がある」と言った。スタグフレーションはそういうことではなくて、供給側の問題が大きかったわけですが、例えばイギリスをはじめ国民負担率が五〇%を超えている。五〇%を超えると国民の活力がなくなるという話が第二臨調の中で出回って、この目安的な数字が活力を維持する数字みたいに言われて、それがずっと今まで続いてきているわけです。冷静に分析すればそういうことは関係ない。
しかも社会保障は、今まで家族とか企業が負担し過ぎた部分を社会化するという要素も大いにあるわけで、そこで余った余力はどこかに使われるわけですから、決してムダではない。社会保障と活力の関係は、日本の国民は働かないと言っている人はあまりいないわけで、国民の労働意欲をどう引き出すかが政策だろうし、企業経営者の能力だと思っています。
世界の流れは負担を増加させることに慎重
若林
ヨーロッパ諸国では、福祉政策を考える上で国民負担率が五割を超えた、六割以下に維持すべきだというような議論は結構あるのですか。
高山憲之一橋大学教授 基本的にはGDP比を使った議論です。もうちょっと哲学的に言えば、「小さな政府」にするかどうかという議論です。社会的な負担をふやすことにはあまり賛成していないというのが最近の流れだと思います。これから負担を引き上げることについて本当に心配しなくていいんだと断言できるかという問題なんです。社会民主党が政権を握っているヨーロッパの国々においても、その点を心配しています。失業率が上がると政権は強い批判を浴びますので、本当に負担増は経済に中立的かという議論を大いにしているわけです。
公的負担増が経済にマイナスの影響を与えるのではないかという理解はそれなりにあると思います。国民負担率一般では議論していない。具体的に年金保険料を上げたらどうかとか、あるいは医療保険料を上げた時どういう影響があるかという議論です。
日本の場合、負担の水準は主要国との比較で言えば決して高くはありませんが、これから負担を上げるということをどう考えるか。雇用保険料はこの一〇月から上がり、健康保険料も来年の四月から上がります。年金についても政府関係者は「保険料引き上げをしないともたない」という大合唱を繰り返している。社会保険料を今後とも引き上げていくことの意味、本当に経済に対して中立的なのか、影響がないのか。月給が上がらないなかで社会保険料を引き上げるわけですから、手取り所得が減り、消費支出はさらに抑え込まれてしまう。それは有効需要という面で問題を発生させる。そのことが景気停滞を長引かせる。企業も社会保険料を半分負担しているので、賃上げの原資がなかなか出てこない。あるいは苦し紛れにまた雇用リストラの強化という形で対応することが予想される。
問題は、保険料なり国民負担をする主体と給付を受ける主体が日本の場合、明らかに大きく違っていることです。社会保障給付の七割方は高齢者が受給している一方、その負担の大半は現役で働いている人たちと事業主が負っています。
山本
孝史参議院議員 国民負担率という表現をするから、負担は少ないほうがいいと普通思うわけです。だけど、負担しているものから、給付として戻ってくるものがあるから、負担から給付を差し引いた純負担率ということで考えないといけない。そういう意味で北欧のように高負担・高福祉で経済成長もうまくいっているところは一つの考え方です。
ただ、これから日本は人口が減少していくなかで、現行制度のままで良いとは言えません。今の制度では負担は重くなるばかりですから、将来どこかの時点で負担をそれ以上引き上げないという形の制度改正も必要です。
我々も「福祉ビジョン」をつくって、福祉の領域の比重を強めようとしましたけれども、基本的に年金は十分に出す。その年金で医療も介護もしてもらうという考え方でやってきている部分をどう考えていくのか。子どもたちに出している給付と高齢者に出している給付にあまりにも差がある点を、高齢者にどう理解してもらえるか。これらは大変大きな課題だと思います。
世代ごとに担う負担の違いをどう理解するか
村上
世代ごとに担う負担が変化しており、老後を迎える条件は違うのです。私のおやじは、老齢福祉年金三万八〇〇〇円をもらっています。でもそれでは足りませんから六三歳の兄と私で仕送りしている。私の子どもたちはどうか。若い皆さん方も、たしかに負の遺産も受け継いだかもしれない。しかし、高齢世代からプラスの遺産も受け継いでいる。賃金水準も高齢世代から受け継いだ遺産の一つです。その中でどれだけ負担ができるか、また負担をすべきかということを議論しないといけない。負担が重くなるからやめるというなら、それではあなた方親の面倒を全部見ますか、年金分を仕送りしますか、介護も全部個人でやりますか、そういうことになっていきますよと言ったら、若い人は理解する。我々のアンケート調査では、ちゃんと福祉に使うという目的税なら、たとえば消費税アップでもあまり拒否感がない。ただ、負担がある程度上がっていけばいろんな問題はあると思うけれども、ヨーロッパ社会の高負担が社会的に大騒動になっているかというとなっていない。それは国民と政府との信頼関係が長い間に築かれてきている。そのことが重要だ。
田中
今は、何が本当に経済や社会にマイナスかということを見きわめないといけない。確かに社会保障負担を急速に上げれば問題かもしれませんが、制度への不安感を与えたり、現に制度を縮小していってお年寄りをまた介護保険のないところに戻してしまうようなことはもっと経済にマイナスです。現実に九〇年代を通じて発生してきた貯蓄率の上昇が一例です。すべての所得階層で貯蓄率がふえた。まさに公的制度、社会保障制度への不安感ゆえに結局のところ消費が減ったわけです。
村上
社会保障を考える時、我々は中小企業の労働者の実態に目線を置いて物事を発想しなければいけないと思います。八五%以上の人たちが中小企業に働いているのですから。よく自助努力だと言われるが、中小企業で働いている人たちが自助努力して老後資金をためられるだけの賃金をもらっているのですか。日本社会とヨーロッパと一番違うのは、同じ仕事をしても所得格差が激しい。アメリカは所得の格差はあるが、同じ仕事の中での格差は先進国の中では日本が一番あるわけです。自助努力できるほど大半の労働者が賃金をもらっているかどうか。ここを一番考えなければいけないのです。
国民の社会保障に対する信頼感回復が重要
若林
国民負担の問題は、国民の納得感、政府に対する信頼感が前提にないと前に進みません。これまではどちらかというと不安をあおるような福祉政策をやってきたのではないでしょうか。個々には介護だ、年金だ、いろいろやるけれども、国としてどういう福祉政策をやるかという全体像を示さずに保険料を上げるだけ上げ、給付を下げるということを繰り返し、そのことが国民からみて社会保障に対する信頼感を失う原因となった。政治家は税負担ということに対して非常に臆病であり、一方役人はその陰に隠れながらちょっとずつ保険料を上げてきた。そのことが逆に不安や不信感を増大させ、気がついたらこのような状況に追い込まれてきたのではないか。これも政治の一つの責任ではないかという感じがします。
村上
結局九七年の橋本財革のキャンペーンがひど過ぎたのです。あのとき年金がもたないと言って国民を不安においやり、うまくいかないとなれば途端に国債発行額が一七兆円から四〇兆に増えるわけです。そういう歴史的経過をたどると、一つの政権の政策ミスがここまで影響するというのはひどい話です。たしかにバブル崩壊の影響は残っていると思いますが、そこはよくよく考えてみないといけない。若い人は「払えというなら払うけれども、私たちもらえなくなるのではないか」と思うようになった。まさに九七年に国民に対して猛烈に不信感を植えつけてしまった。
田中
納得すれば払いますよ。介護保険料は、要は増税に等しいわけです。強制的に徴収を開始した。その保険料について、個別には不満がある人もおられるにしても、介護保険そのものをやめるべきだとの合唱は全然起きていない。ありがたい制度だと言っていただく声が圧倒的に大きい。その理由は、まさに給付が見えているからです。介護保険で家族が助かったという事例が多く、その安心感に比べれば介護保険料程度の負担は社会的に納得される。もちろん、金額が小さいせいもありますが、納得すれば負担する。
高山 これまでの年金行政をみますと、年金財政の将来を見据えて保険料を上げる、給付を改正のたびに切り下げるということをやってきました。手法が変わらないとすれば、次回改正、次々回改正でも年金保険料を上げますよ、給付はさらに下げていきますという話しかないんです。若い人にとっては全く楽しくない話です。そういうふうに年金をはじめとする保険料を引き上げてきたものですから、国民負担の中で社会保険料のウエートは一貫して増大しつづけているんです。社会保険料負担はすでに国税負担を超えています。日本全体がサラリーマン社会に向かっていると考えますと、実は社会保険料は賃金税そのものです。直接税そのものであり、雇用に対するペナルティーです。それを今までの延長線上で今後とも引き上げていってよいのか。今日、税制改革をめぐって、ものすごい質と量の議論をしている。ところが、金額的に国税を上回っているにもかかわらず、社会保険負担をどうするかという議論はほとんどやっていない。これはやはりおかしい。
保険料と税金と自己負担をいかに組み合せるのか
山本
これまで日本の社会保障は社会保険方式でやってきましたが、なぜ税金を入れるのかという理屈は、年金、医療、介護の制度によってそれぞれ違うわけです。また、税金投入の割合もみんな違います。社会保障は、保険料と税金と自己負担という三つの組み合わせでやっていくしかありません。今年は医療保険制度改正があり、民主党は自己負担を上げるよりは保険料をちゃんと上げて、みんなで負担し合うべきだと主張しました。医療サービスが必要となったときに、自己負担が非常に重いのはおかしいのじゃないか。保険料と自己負担とどっちを上げると言われたら、保険料を上げるべきだと申し上げたけれども、そうならなかった。また、保険だから負担は所得に応じてみんなで公平に負担しましょう、給付するときは所得に関係なくみんなに給付しましょうという話だったのに、高齢者で高い所得があれば自己負担は二割という話になって、原理原則が崩れたわけです。保険と税と自己負担をどう組み合わせて負担をし合うのかという議論を、もう一遍し直さないといけない。
高山 今後の負担のあり方を考えたとき、保険はますます純化していかないと負担する当事者の理解が得られないのではないか。保険としての性格をより強めるということが必要だと思う。年金でいえば負担したものが何らかの形で返ってくるという姿をきちんと見せられるような仕掛けをつくらなければいけない。医療は医療で保険集団としての実体があるような形にしていかないと、保険料を払う気にはなかなかなっていかない。保険として純化すれば負担する当事者が進んで保険料を納める形になる。
一方、増税はみんな嫌いなんです。しかし何らかの形での増税を引き受けてもらわないといけない。国民が渋々ながら増税を納得するということはどういうことなのかというと、増税してそのお金を何に使うのかをどれだけ説明できるかにかかっています。税を投入してどのような年金給付を賄っているかを調べてみますと、最近いろいろ変化が起こっています。一番劇的に変化させたのはオーストラリアです。税金で賄うべき年金給付はミーンズテスト(資力調査)つきとなりました。カナダは非常にマイルドな形ですが、インカムテストをつけました。所得の高い人については税で賄うべき給付を少し遠慮してもらう。所得の高い人も低い人もまんべんなく、高齢者だということで税を投入して一定額の年金を賄う、それを今もってやっているのはニュージーランド等しかない。守るべき年金給付とは何なのか。そこの議論を詰めていかないと、簡単に税の投入といっても理解につながっていかない。
若林
政治家はどうしても税金に対して臆病になり、議論を避けてしまう。基礎年金の財源を目的税にするということは民主党も言っているが、その税をどこから持ってくるかというとなかなか詰め切れていなかった。それは選挙があるからちょっと先送りとなっている。一方で保険料は上がっているわけです。
村上
税金は上げづらくて、保険料は上げやすいというが、これまでそういう実態にあったのは、政府への信頼がなかったからではないか。社会保障はトータルで考えてもらいたい。我々国民は体も一つ、懐も一つですから、社会保障負担がトータルでどうなっていくのか、また給付がどうなっていくのか、全部見せてくださいと言っているが、何年言っても見せてくれない。全体像が分からないから、より不信が高まるんです。
山本
いずれにせよ次回の年金改正では、これまでのように現行制度を前提に給付は減らします、保険料は上げますということでは、若い人からはもう見放されてしまうだけではないか。どこかで固定される要素が示される。例えば、保険料はこれ以上上がらないとか、あるいは給付水準がここで止まるとか、何か固定されるものが出てこないと、国民の理解が得られないのではないかという気がします。
制度変更は環境の変化によって必要、問題はその変え方だ
高山 我々の将来予知能力は大したものではない。思わざる事態は次々起こっているのが現実だと思う。たとえば三〇年前の高度成長期に今日の姿をだれが予想できたか。賃金が名目額で下がることを予想した人がいたのか。子どもの数がこんなに減ってくることが予想できたのか。我々は将来についていろいろな仮定を置いて、とりあえず予想数値をはじくが、それは条件づきであって、時代の変化とともに変わっていく。新しい事態に対して柔軟に対応していくことのほうがはるかに重要だと思う。その対応のなかに、制度を変えることが当然入ってくる。制度を変えること自体が将来不安の原因ではない。むしろ変えていかないとかえって不安が大きくなってしまう。問題は制度の変え方だと思います。前回の年金改正もそうだったが、政治の地図が若干変わったことによって、実施的な議論があまりなされずに法案が成立した。全員が賛成することはなかなか難しいけれども、せめて十分時間をかけて問題点を洗いざらい議論した上で決めているのか。多数の人が物事の決め方のプロセスを信頼しているのかどうか、そのほうがはるかに重要だと思うんです。
田中
医療と介護は、単年度での産業波及効果も公共事業にひけをとらず、もっと長期には新しい産業を興し、新しい技術を使う側面をもっています。医療セクターは最先端のいろいろな技術を活用できるところだし、これからもそういう役割を果たしていくでしょう。また介護保険導入後に企業が発展させてきた機械やソフトウエアの工夫は著しい。このように、医療や介護は、負担と給付だけではなくて、産業育成と雇用促進も視野に入れないといけません。負担が大変だからと単に医療費を減らすと、金の卵をつぶしてしまう可能性を考えるべきなのです。
特に医薬・バイオは近未来のリーディング産業です。日本は高い技術水準を誇っており、医療や介護が自由市場における消費だけでは伸びる産業ではないことをふまえると、新技術が採用される基盤整備にもっと力を注ぐ必要があります。そのためには、患者の自己負担をあまり高くして萎縮させてしまうような医療ではいけないと思います。
高齢者も負担を担う社会の構成員
若林
最終的には社会保障を改革するには、政治主導が重要であり、政治の果たす役割が大きい。給付と負担の関係を真正面に受け止めて、将来像をきちっと示す。その中で国がどこまでやるか。あとは自己がどこをやるか、きちっと言ってあげることを我々もやらなければいけない。
田中
分析的には、高齢者世代の中でも、一九一〇年、二〇年等、何年に生まれたかによって豊かさがまるで違っている点を指摘しなければなりません。ところが今の制度設計はそこを意識していない。マクロで「このくらいの負担」と計算するだけではなく、高齢者にも年金を含めた所得に応じてもっと負担を求めてよい。政治は、怖いからそれをあまり言ってこなかったのではないでしょうか。たしかに、すでに介護サービスを利用されている方は、八〇歳以上の女性が多く、一号被保険者全体の平均より貧しいかもしれない。一方、六五歳前後の人は勤労世代と変わらない所得を得ている方もたくさんおられる。勤労者世代に過剰な負担を求めないためにも、「年齢に関係なく同じ経済力なら同じ負担を」と、いやでも政治家には言っていただきたい。
高山 今までの負担の構造を考えてみますと、負担を増やさなければいけないとなると現役で働いている人たちのほうが豊かだから、税なり社会保険料を負担してもらってなんとかする、あるいは事業主にお願いするという形でした。ただ、日本は人口高齢化という点ではすでに世界のフロントランナーとなりました。日本は最も高齢者の多い社会です。その高齢者に社会的な負担をお願いすることについて政治はこれまであまり熱心でなかった。高齢者も社会の構成員として社会的な責任を若い人と同じように果たしていかなければいけない存在になっているし、経済力で見ても少なくとも平均値で見れば遜色ないところまでいっているお年寄りが圧倒的に多い。たしかに特別な措置を講じなければいけない高齢者が少数残っていますが、原則として若い人と同じように高齢者も負担するという基準を立てない限り、これからの社会はやっていけないと思います。
社会保障はプラスでの改革が可能
田中
医療保険と介護保険はいわば短期の損害保険に相当しますから、基本的には保険料はその年に使われます。それが医療セクターや介護セクターに対する支出を通じてどのくらいマクロ経済に影響があるかについては、たくさんの学者がいろいろな試算をしています。ほぼ共通した結論は、公共事業と同じ、もしくはややそれを上回る波及効果が見られる。国民が負担した税・社会負担を用いて、医療や介護サービスを必要とする人を支援しても、トータルなマクロ経済の成果は下がることはないどころか、プラスに効くと繰り返し証明されてきました。
他方、年金は話が複雑で、今私たちが払っているものは政府が運用し、運用といってもほとんど国債、あるいは地方公共団体の借金になっているので、この分のマクロ経済波及効果は、年金をもらっている人がどう使うかよりも、むしろ資金循環を通じて、積み増された部分がどう使われているかの方が重要で、はるかに計算が難しい。
村上
もう一つ、これからは高齢化社会に向けたいろんなシステムをつくっていくことが必要だと思います。日本の高齢者の就業意欲はとても高い。そういう働く場をどうつくるか。現役と同じように働く必要はない。基本的にNPO法は自立した市民の自立した地域社会をつくりたいということだったのですが、年をとっても自分は社会に役立っているという実感があると元気で老いていける。予防しながら、社会に役立ちながら、元気に老いることができればいろんな形で人材の有効活用ができると思います。
田中
元気な高齢者が増えればその方たちの医療費が減りますし、同時に社会に貢献しながら地域を支えていただける。地域社会を支えるうえで「若い高齢者」は大変な財産だと思います。
村上
日本でいけないのは、「官と民」しか言わない。NPOは官=国と違い「公」なのです。ヨーロッパ社会でいう社会的存在としての「公」です。官と民にもう一つ公という分野をつくっていく。これのはしりがNPOだし、我々がやってきた労働者福祉事業などの共助の世界という部分なのです。またこの公の役割は福祉の分野だけでなく、たとえば行政経費の効率化という面がある。NPOで運営すると官の直営の三分の一で済む。官でも民でもない、公の部分を大きくしていく。そうすると社会全体の効率と様々な社会保障に必要な連帯感が生まれてくる。
山本
私も二一世紀の日本社会に必要なのは、まちづくり、地域振興であり、それにはNPOが一番大きな役割を果たすと思います。いろいろな領域で、いろんな技能や知識を持った方たちが、退職後もそれを生かしながら、あるいは若い人たちもボランティアとして余暇時間を使いアイデア、創造力を持って仕事をする。まちづくりで活気づけていくことが日本社会を元気にしていくと思っています。
来年は年金改革や介護保険の見直し等、国民負担に関わる福祉政策が大きな議論になるでしょう。
介護保険についていえば、大変に負担が大きくなっている市町村もあり、広域化に地域全体でどのように取り組んでいくのか。これも一つの起爆剤になっていくのかもしれません。また、介護保険の新しい特色の一つは、高齢者自身も負担をすることと、生活保護の人であっても保険料を払うというシステムを組み込んだことです。そういう意味で今までの保険制度にないいわば実験をこの三年間してきたと思います。介護保険制度のあり方から、これからの社会保障制度、福祉制度はどうあるべきかという議論につなげていくことも必要だと思います。
ムダは省いていかなければいけないが、高齢社会を迎えるなかで必要な社会保障、社会福祉の経費はみんなで分担し合いましょう。
田中
それが社会にも経済にもプラスになりますね。
山本
ええ、大いにプラスになっていくということは、大きな声で言っていかなければいけません。
若林
社会保障の整備は、社会の活力にとってもプラスになる可能性があるということですね。そのためには政治主導が必要であり、まず民主党が率先して社会保障の議論をリードしていかなければなりませんね。一生懸命頑張ります。きょうはどうもありがとうございました。