日経新聞「交遊抄」に掲載されました

毎年春秋、遺児の進学支援を呼びかける「あしなが募金」。1970年、その第1回募金に立命館大生だった私も参加した。募金の贈呈式があるからと東京に呼び出され、運動の先頭に立つ玉井義臣氏(あしなが育英会会長)と出会った。

玉井氏は、母親を交通事故で亡くし、私怨を公憤に高め、交通評論家として活躍していた。私も兄を交通事故で亡くしていたことから、意気投合し、学業そっちのけで交通遺児を励ます会の活動に没頭した。「玉井のおっちゃん」と飲み明かすこともしばしばだった。

学生時代から活動ぶりがわかっているのだから、効率的な人材確保策でもあった、と気付いたのは後日のこと。その後の20年間、玉井氏は私の職場の上司となった。愛唱歌が「月月火水木金金」だった私たちの運動に、副田義也筑波大学名誉教授が社会学的考察を加え「あしなが運動と玉井義臣」として出版された。芥川賞候補者となったこともある副田教授の筆で運動が活写され、面はゆいばかりだ。

玉井氏には、ミシガン州立大学への留学を勧められ、学者の道も示していただいた。政治家の道へと推してくださったのも玉井氏である。「なんでやねん」と憤り、活動に没頭した青春時代の志を忘れずに活動することが、私の「あしながさん」である玉井氏への恩返しでもある。

(やまもと・たかし=民主党参院幹事長)