講演「がんと使命~故参議院議員山本孝史の「生きるということ」~」
大阪保健福祉専門学校
2012年9月27日(木)、大阪保健福祉専門学校 にてがんと使命~故参議院議員山本孝史の「生きるということ」~と題し講演を行いました。
次に講演後の学生さんたちの感想を項目ごとにまとめました。
山本孝史の生き方について
- 人として「かっこいい」。
- 生き生きと国会議員を務め、法案を作っていた。
- 痩せてしまっているのに、スーツを着て国会に行っている姿はとてもカッコイイ。
- 今まで積み重ねてきた政策を貫き通し、完成させた。
- バトンを渡してくれた。看護の仕事をつないでくれた。
- 命を守る仕事をした。
- がんになったから死ぬのではなく、死ぬまで頑張るという気持ち。なるほどと思った。
- 自殺を考えている人に勇気と希望を与えるメッセージが伝わる。
- 「命の重さや尊さ」「命の尊厳」に対する思いが伝わってきた。
- 最期まで命を守るために精一杯活動された。
- 余命宣告をされても働き続ける姿が印象的。
- 「最後まで自分らしく生きる」という言葉が印象に残った。
- がんや病気でも、今持っている目標に向かって懸命に生きることの大切さを知った。
- 「人間が人間らしく」「自分らしく」生きるということが大切と知った。
- 「がんになってからが、がん患者の輝き」という言葉に深く共感した。
- 「これが自分にしかできない、神様に与えられた使命」と思って法律を作った。
- 人間は目標がしっかりしていると、やる気がでてくるものだと思った。
- 気力がわいてくるという言葉が印象的だった。
- 当たり前のように「明日」があるわけではないと思った。
- 「がんイコールリタイアではない」。この言葉をがん患者さんに伝えたい。
- 自分の病気を通して、何か行動を起こすことは簡単なことではないのに、山本さんは行動を起こした。
- がんになったことを悪いように捉えるのではなく、使命、天命と捉えた。
- 病気の人は弱い立場として扱われることが多いのに、山本さんの政治にかける思い、行動力はすごい。
- 「人の命を守るのが政治家の仕事」ということばは本当に嬉しく思いました。
- 再び参議院選挙に出て、最後まで自分の使命をやり遂げようとした姿に感動した。
- 治療をしながら、参議院議員を続けたことはすごい。
- 最後まで「生きるとは何か」を考え、生きていたことに尊敬できた。
山本孝史という人
- 信念、責任感、行動力、決断力の人。
- やり遂げる人。
- 人の心を動かす力のある人。
- 諦めない人。前向き、器の大きい人。
- 生まれてから亡くなるまで命に関わる仕事をした人。命の対する思いが強いからだと思った。
- 国会の別れのあいさつでみんな泣いていた。周りから愛されていた。
- 医療のことで国会で戦ってくれた人。
山本孝史の「がん告白」に思うこと
- 勇気、使命、熱意、覚悟をもってがんを告白した。
- 心からの声は人を動かすものだと思った。
- がん患者の生の声が議員さんたちの心に伝わり、全員が賛成した。
- 病気の人たちや末期がん患者さんの励まし、勇気、希望となる。
- この先、もしかしたら自分のいない未来のために演説をした。
- 余命いくばくもないときに、他の人のことや未来のことを考えて何か行動を起こすということは、僕はとてもじゃないけどできそうにない。
- がんになっても、自分ががんであることを公表して政治家として生きたことはすごい。
- もしもがんになっていない山本さんがこの法律の制定を訴えても反対意見が出てきたり、こんなに早くは成立していなかっただろう。当事者には説得力がある。
- 15分の演説が3分もオーバーしたのに、野次が飛ばなかったのはすごい。
- 命の大切さを人に伝えるのはすごく難しいけれども、がん患者の山本さんだからできた。
- 議員になる前のボランティアなどの活動があった山本さんだからこそ、訴えることができた。
山本孝史さんへ
- 山本さんのような大人に、周りを魅了させられるような大人になりたい。
- もっと生きていてほしいと思う。
- 山本さんが今も生きていたらなあと思った。どうしてこんなにいい人ががんになってしまうのだろう。
- 本当に一人ひとりのことを考えていたのだと思った。
- 痩せて行く姿に心が痛かった。涙が止まらなかった。
- 余命を宣告されてどういう気持ちだったのか、考えるだけで辛かった。
- 怖くなかったのかな。最期、苦しんで苦しんで亡くなったのではないようでよかった。
- 亡くなった今でも国民の命を守っていると思った。
- 山本さんのバトン、私も引き継ぎたいと思った。
- 山本さんがつないでくれたタスキを落とさず、次につなげていけるように、まず、一人一人が命と向き合うことだと思う。
- がんになってどんなに悔しい思いをされたのだろう。
- もっとやりたい仕事があっただろうと思うと胸が苦しくなる。
- 今、天国でお兄様と「命を大切に一生懸命に生き抜いたこと」をお話しし、楽しい時を過ごしているのではと感じた。
- もし、山本さんが、いろんな学校に講演に行ったり、授業をしたりしたならば、きっと、いじめについての問題も少なくなるのではと思う。
- 山本さんの勇気のおかげで、「がん対策の法案」「自殺対策の法案」ができている。国民にとって有難いことだと思った。
- 山本さんの存在はがん患者さんには心強いのではと思った。
- 山本さんのような熱い議員さんを初めて見た。
- 山本さんのような議員さんがもっと増えたらと思った。
がん対策基本法について
- がん対策基本法を知らなかった。
- がん対策基本法を学びたいと思った。
- 法律がどのようにしてできたのか知れてよかった。
- こんなに最近できた法律であることを知って驚いた。また、成立過程にも驚いた。
- がん対策基本法を勉強している。成立の過程を知り、法律の意味を考えさせられた。
- 本当に法律が成立してよかった。
- 山本さんの法律に対する愛情、思いを知った。
- 山本さんが命をかけて成立させたものをしっかり理解し、学びたい。
- 法律が作られることの大変さがわかった。
- 法律ができて病院側が、患者さんのケアに対する仕方が変わったという話は嬉しいことだった。
- 法律ができて、患者さん中心の医療になったのは大きなこと。
- がんにについて何も知らなかった。地域間格差はよくない。
- 政治に患者・家族の声を入れることはいいことだ。
- 患者・家族の思いを取り入れたことを知った。山本さんは一人一人の思いを取り入れてくれる政治家だったのだと感じた。
- 「患者が主体」という考え方で多くの患者さんが救われているのでと思う。
- ターミナルケアやがん対策推進基本計画について、丁度、勉強しているところなのでとてもいい学びとなった。
- がんに対して動いているのは、医師や看護師だけではなく、法律も大きな働きをしていることがわかった。
- がん対策基本法が今の日本のがん対策に大きな力になっていると思う。
- この法律のお陰で、2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで亡くなると現状が改善されるのではないかと思う。
- がん対策基本法は国民のために生き続けるので、その事にも感謝したい。
がん・がん患者について
- がんという病気の恐ろしさを知った。
- がんという病気をより身近に感じることができた。
- がんの知識の普及が必要。
- がんは大切な人の命を奪う怖くて憎い病気。がんにならないよう広めていかねばと思う。
- 山本さんのどんどん痩せていく姿が、辛い過酷な闘病生活を思わせた。
- 実際、がんになってから現状を知るのではなく、自分にも可能性がある、悩んでいる人、闘っているひとがいるということを頭におくべき。
- 死ななくてもいい命はいっぱいあると思う。早期発見、早期治療が大切。
- 治療はあるのに、余命を告知するということはやめた方がいい。
- がんになると生きる目線が変わる。しかし、がんになってからでは遅い。今を全力で生きる!
自分の家族あるいは自分のこととして思うこと。友人の死に思うこと
- もし、自分の家族が、と思うと悲しくて涙がこぼれた。
- おじいちゃんががんだが何もしてあげられない。
- 父もがんで死亡。父からも「生きるということ」の意味を教えてもらった。
- 祖父もがんで亡くなった。山本さんの生き方は、祖父の生き方と大変似ていた。
- 本人に悲しい顔を見せてはいけないものと思っていたが、素直な気持ちを伝えることは、長い闘病生活を共におくるにおいて重要なのかもしれないと思った。
- 祖母が乳がんになり再発を気にして生活している。祖母にも山本さんのことを伝えたい。
- 突然に友人が病気で亡くなった。「なんでやろ。もっと話をしておけばよかった」と後悔。今、自分が精一杯生きることが友に対してできることだと思う。過去をずっと引きずるのではなく、過去をこれからの未来に一日一日にどうつなげていくのかが問題。
- 祖母にがんであることも余命も伝えないと決めた父。父も病気で、祖母と父の助けとなりたくて看護師の道を選んだ。
- 私は身近に死というものを体験した事がない。がん患者もいない。身近な人がそうなったらどんな気持ちになるか、考えただけで怖い。
- 身近にがんで亡くなった人がいない。辛さが実感できない。亡くなった人とずっと一緒に居た方の話を聴くことができてためになった。
- 祖母ががんで他界。抗がん剤で苦しむ祖母が可哀そうだった。母が、「自然にまかせた方が苦しまなくて良かったのでは」と後悔している。
- 人はどんなに頑張っても、本当に相手の気持ちはわからないと思う。近づくこと、考えることはできる。
将来、看護師・医療職の仕事についたら
- 患者さんが「生きていてよかった」と思えるように寄り添う看護を目標にしたい。
- 全力で患者さんを支えられたらと思う。
- 役に立つ看護師になりたい。
- 患者さんをたくさん思いやってあげたい、支えられるようになりたい。
- 患者さんの気持ちを考えて、どんな気持ちで病気と闘っているのかを理解したい。
- 納得のできる援助をして寄り添いたい。
- 患者さんと毎日を一緒に、大事にできる看護師になりたい。
- 命を大切にし、人が人間らしく生きられるよう、看護にも活かしていきたい。
- 患者さんのそばで、一緒に頑張っていかなければと思った。
- がん患者の方と関わらせていただく時に、必ず今回の講演を思い出すと思う。
- がん患者さんを可哀そうと見るのではなく、一人の人としてみたいと思う。
- 保険を扱う医療の場は、政治から切って離すことができないものだ。
山本孝史さんとゆきさん
- 素敵なご夫婦。
- ゆきさんは孝史さんの意思を引き継いでいる。
- ゆきさんは遺族としてすばらしい。
- ゆきさんの献身的なサポートも簡単なことではなかったのでは?
- 山本さんはゆきさんのことを大切にしていた。
- 孝史さんは、がんが進行してもゆきさんのことを支えてあげた優しい人。
- ゆきさんは今、どういう気持ちで講演をしているのかと思うと、すごいと思う一方で切ない気持になった。私も勉強して人に何か伝えられる人間になりたい。
- 家族の協力や支えが大切であると思った。
今回の話を聴いて
- 自分なりに理解できた。
- 初めて知ったことがたくさんあった。
- 少し、内容が難しかったけれども、集中して話を聴くことができた。
- 難しい話もあったけれど、心に響いた。
- がんについて深く学べた。
- もっと政治家の発言していることに興味を持たなくてはと思った。
- がん患者さんの話をもっと聴きたいと思った。
- 命のありがたみを持ち続けたい。
- もっと看護の勉強がしたくなった。
- 「生きる」ということに関して、考え方が少し変わった。
- がん患者さん本人にしかわからないことを知ることができた。
- 当たり前のように’明日‘があるわけではないと、改めて学ぶことができた。
- 自分もやると決めたことは最後までやろうと思った。
- 苦しくても最後まであきらめず、頑張ることの大切さを知った。
- 生きるということ、人生の生き方、どのように時間を過ごすかを考えさせられた。
- がん患者さんを援助していくには、まず、自分が生きているということに感謝して、1日、1日を大切に過ごしていこうと思う。
- もっと多くの人に山本孝史さんの活躍を知ってほしいと思った。
- 実習でがん患者さんを受け持った。とても辛いといった発言に、何を言っていいかわからなかった。この講演を聴いて、もう一度深く考えて、患者さんを困らせない、落ち込ませないように言葉を発していきたいと思った。
- 人が人らしい最期を迎えるにあたり、医療者として私に何ができるのか、今一度考えたいと思った。
自分の立場で
- 自分の立場でやるべきことをやっていきたい。
- 私も自分の役割や使命をやり遂げていきたい。今できることを手抜きしない。
- 私は私の立場でできることをやれるまでやろうと思う。
- 渡部和子さんの言葉「自分の置かれている立場で咲きなさい」、どんな立場でも行動次第では、その人は輝くことができるのだと思った。
山本孝史の議員になる前の活動について
- 学生のころから、主体的、積極的、自主的、行動力があった。
- 議員になるまでにいろんな体験を積んでいた。
- 小さい頃の夢を叶えた。
- 兄の死から遺児のための募金に立ったのはすごい。
- 兄の死を乗り越えた。
- 過去を背負って生き、兄の死と自分の人生を連携させることをずっと考えて行動した。
- 「大阪交通遺児を励ます会」を作り、政治家になることなど普通ではできないこと。形見のランドセルに誓った約束を最後まで守り続けて逝った。
国・社会・政治へ
- 政治は命の重さを知ってほしい。
- 国・医療・社会が山本さんの意志を受け継いでいってほしい。
- 今の日本に亡くなった人をもつ家族のケアをしてくれる人がいるのだろうか。
- 先進国であるのに、どうして新薬や新しい治療法の認可が下りないのでしょうか。
- 患者は最期の望みをかけて、保険のきかない新薬や抗がん剤に賭けるのです。
- 家族のがんでショックを受け、精神的、身体的、経済的に苦しまなくてはいけないのでしょうか。
- 感者さんが治療しやすいように医療を改革してほしい。
- がん検診のシステムがよくなかったのでは?
- まだまだがんの治療についてはたくさんの課題があると思うので、これから医療、そして政治も発展すればよいと思う。