テレビ東京系列 経済ドキュメンタリー「ルビコンの決断」
~命を削って命を守った政治家 山本孝史 命の決断~
■5月21日(木)22時~23時 テレビ東京系列 (テレビ北海道、テレビ東京 テレビ愛知、テレビ大阪、テレビ瀬戸内(岡山)TVQ九州(福岡))
■5月27日(水)22時~23時 BSジャパン(デジタル7)
余命半年の命を法律作りにかけた政治家がいた。
2006年5月、参院議員・山本孝史は、参院本会議に登壇し、自らががん患者であることを告白、がん対策基本法成立を訴えた。
山本の告白は勇気ある決断として、法案成立へ向けた原動力になった。その後、胸腺がんが進行し衰弱した山本はさらに体に鞭打って、死の直前まで弱者のための政治家として抜いた。
2人に1人ががんにかかり、3人に1人が命を失う時代である。人は限りある命をどう生きるべきなのか、考える機会にしてもらうため描いた番組である。
メインナビゲーター:木村佳乃
報道キャスター:大浜平太郎
ゲスト:鳥越俊太郎
キャスト: 山本孝史役・田中健 妻のゆき役・大場久美子
テレビ東京系「山本孝史のルビコンの決断」
ルビコンの決断、見ました。「孝史さんは、わが心にあり」、そんな想いです。
番組は、見ていて、アッ!という間に終わってしまいました…。先生の仕草や、声が思い出されました。感動しました!
ルビコンの決断 良かったです! がんでご主人を亡くされた友達や本人ががんの友達にも知らせましたらみんな見てくれました。すごい人やったんやね~。どうしてこういう人がこんなに早く逝ってしまわれるのかしら・・・・。って言っていました。
ルビコン見ました。山本先生の生きざまに、人間らしく、与えられた命を生き抜くことの大切さ、清々しさを教えていただきました。私も、このところ色々あって、この現実は本当に乗り越えるべきものなのか自問自答の日々ですが、一生懸命、自分らしく生き抜くことが後悔しない生き方だと改めて思いました。
番組みました。なんだかいろいろ思い出されて、またしんとしてしまい、時が経つにつれ、ゆきさんがどんなにか大変な思いをしていたかがわかるようになりました。本当に、よくがんばったねーーー! よくまとまった番組だと思いました。「救えるいのちのために」を再読してみようと思っています。
いまテレビを見せて頂きました。私の知らない孝史さんの姿をみました。ゆきさんの苦しみ想像するだけで胸が痛みます。
ルビコン見ました。田舎の母もテレビ瀬戸内で見たようです。田中健さん、抑えた演技でよかったですね。コメットさんもよかったです。最後の方で流れていた中島みゆきの「誕生」はすごいインパクトでした。孝史さんとゆきさんの好きな曲ですよね!
よかった! 田中健さんがあんなに熱演してくれるとは・・・。わかりやすかった。
初めて見る番組でした。ご主人の頑張る姿勢を支える辛さ。どれだけ陰で涙を流したことだろうと思うと切なくなりました。自分も身辺整理をと思って落ち込んだ時もあった身。大事にしなくてはと改めて思いました。ありがとう。
「山本孝史のルビコンの決断」拝見させていただきました。時間が短いのが惜しかったですが、実際の映像もたくさん出て、良かったです。最後のゆきさんたち、患者さんたちの国会での様子も、故山本議員の意志の流れが続いているのをを示唆しており、良い締めくくりだったと思います。田中健さんと女優さんとお二人とも、実際の山本ご夫妻に似た雰囲気の人でしたね。
見ました。田中健さんでも山本さんの男ぶりにはかなわないですね。、、、、でも、日本という国はこれからどこへ行くのか、、、誰がその舵を取れるのか。
応援してくださった友達に教えて見ていただきました。想像以上な大変な戦いでした。ゆきさんの大きい愛が支えてこそ彼の思いが今も延々と生きて世のため人の為になっていきます。
山本先生が命をかけて蒔いた種が、日本そして世界中に芽を出す日が近いことを実感しています。
あのお体で選挙に立とうとする意志の強さご立派でしたね。やはり足長募金という草の根運動が基盤にあり、困っている人の為にと活動しているお姿をみると、惜しい人を亡くしたと思いました。こういう方が政治家でいて欲しいと思いました。
さきほど番組みました。月並みですが、山本さん本当に立派ですね。それを支え続けてきた(まだ支えている)ゆきさんも。多くの人が今夜見て山本さんのことを思い出しているでしょうね。自分のふがいなさを思い知らされます。
先生のかつてのお姿や私の見ていない、質問のフィルムなど、久しぶりにお会いできて嬉しかったです。ゆきさんの隠れたご苦労もしのび、本当に感動しました。ありがとうございました。
テレビを拝見いたしました。私共が山本先生と初めてお会いしたのは2006年の夏でした。そのときは、ちょうど先生が大変な時期だったのですネ。そのようなそぶりは全く感じさせなかったものです。懐かしさと同時に、当時の先生の懸命なお姿が切ない想いです。ありがとうございました。
今晩のテレビは両親と一緒に拝見させていただきました。番組を拝見しながらいろいろと思い出しまして、、、涙が止まりませんでした。山本たかしさんのことを沢山知ることができまして、とても感動致しました。勿論ゆきさんのことも。辛いことを一人で沢山抱えていらっしゃいましたね。この番組を通じてさらに多くの方々が山本たかしさんの素晴らしい生き方をしていただけたと思いますね。本当にいい番組でしたね。ありがとうござました。
ある程度、薬で抗がん剤のつらさを助けられ最後の癌対策に力をそそがれてるものと思っていましたが、こんなにつらく苦しいお体でふりしぼる気力には感動しました。俳優の声が孝史さんの声に似ているサツカクを感じました。ゆきさんも、最後の選拳応援と介護でお顔にお疲れが出てつらかつたです。どうぞ孝史さんの残された癌対策家族の交流に力添えお願いします。去年自殺者が3万人以上いると新聞に掲載してましたが2世の政治家は庶民の苦しさは分らないでしようね。生前にご縁が出来たことが私の宝物です。
私は聴覚障がい者です。2年前に前立腺ガンで手術しました。ガン基本法の成立に奮闘されたことは部分的に字幕があったので少し分かりました。ただ、大部分は字幕がないのでよく分かれませんでした。きちんとしたものをもう一度拝見できれば嬉しいです。テレビ局に頼んで字幕入りのものをいただけないでしょうか。お願いいたします。
今夜、山本先生の番組を見せていただきました。壮絶な闘病生活のなか、最後まで政治家としての使命を全うされた先生を見せていただきました。コメンテーターの鳥越さんが終わりに言っていましたが、悔いのない人生を送った、数少ない人だったと思います。
弱い心の我々への、強い叱責でした。私たちには、先生のような真似は出来ませんが、いつまでも先生の存在を忘れないでいきたいと考えます。
改めて、生きていなければならない政治家を失ったのを感じます。本当に悔しいです。
ルビコンの決断は、主人と録画しながら見させていただきました。新・温故知人とはまた違った、孝史さんのいのちの政治活動をさらに深く知る事ができて本当に良かったです。
治らないがんと闘う姿は想像を絶するものだったでしょうが、番組を見た方々の心をさらに揺さぶったことでしょう。
ゆきさんが孝史さんのご遺志を受け継がれて、活動なさっている姿を見て天国で喜ばれていることでしょうね。
素晴らしい番組を、夫婦愛をありがとうございました。涙が止まりませんでした。これからも、陰ながら応援させていただきます。
『ルビコンの決断』拝見させて頂きました。九歳(小3)の息子と二人で拝見させて頂きました。
先生は化学療法を受けながら、そして酸素吸入をしながらのお仕事どんなに辛かったか事か・・・看護師の立場で考えてしまいます。側で支えられた奥様も、とても辛かった事と思います。私も息子もずっと泣きながら拝見しておりました。とても悲しかったです。
息子は『山本先生は百歳迄生きてて欲しかった。でも病気が邪魔しちゃったんだよね。』と泣いてました。私もどうして・・・世の中には悪い事をしている人は沢山居るのに、どうして、こんなにも国民の事を考えて下さって、弱い立場の人達を守って下さっている方を、どうして、と思い悲しくなりました。
申し訳ありませんメールでこの様な事を・・・私はまだまだ未熟です。これから自分は何が出来るか何をするべきか考え実行して行く事が今後の課題だと思います。
昨夜、息子と見ました。孝史さんの命の活動が若いころから一貫して続いてきたものだと言う点を、もっと前面に出して欲しかったです。夫婦愛と闘病は事実だけど、孝史さんを伝えるには一時間では足りなかった! ただ、多くの人が孝史さんを知るきっかけになったのは良かったと思います。
昨日ルビコンの決断を見ました。ひさし振りに山本孝史さんに逢えたような気持になりました。今の政治家らしくない、すごい政治家だったのがよくわかります。また一緒に花植えをしたかったです。
山本ご夫妻本人の清廉な雰囲気が少し‥と思いましたが充分に業績が伝わりました。超党派で反対者がなく決まったがん基本法に山本議員が仰っておられた魂を入れるのは残された政治家の使命だと思いました。この時期にテレビ局がルビコンの決断をされた山本議員の事を取り上げ、視聴者は選挙で選ぶ自分達の責任を感じた事でしょう。友人達に知らせましたらご夫婦で「涙なしに観る事が出来なかった」と言っておりました。皆感動した事でしょう。
昨夜のテレビ「ルビコンの決断」を見ました。山本孝史議員は私達の心に永遠に生き続けていますね。感謝で一杯です。
昨夜は感激しながら在りし日の先生の活動を思い浮かべて観ておりました。尾辻先生の人柄はすばらしいながらも「なぜ民主党の先生が引き継がないのだろう。票があちらにも流れるのでは?ここはゆきさん再登場!!」などとよこしまな考えも浮上しつつ就寝しました。
山本孝史議員さんとは 第1回よしもとチャリテイが始まる直前プログラムで1度お目にかかっただけでした。
ゆきさんとめざす会でご一緒させていただいてから、恐れおおくもどんどん身近に感じてきていました。
そして、田中健演じる孝史さんの『ルビコンの決断』を拝見して(ナレーターがちょっと1本調子でしたが、いのちを削ってまでいのちを救おうとされた熱意と信念と決断を知り、今、少し神経が研ぎ澄まされています。
先生の「1日一生」は言葉は違っても僕も同様に日々を大切に生きています。先生のように、人々に多大なご貢献を残された余命は無理ですが回りの人々に迷惑をかけないよう、悔いの残らない生活を心がけています。番組の後、涙が止まりませんでしたが、再度、勇気をいただきました。
主人と見ましたが涙が止まりませんでした。 私たちから見えないところでは、いろいろな葛藤があったんですね。 当たり前のことだけれど、いざ映像で見ると、リアルでしたねえ。
孝史さんのガンがわかってからの人生は何とpureであったことか! 全てが昇華された潔い時間だったんですね。 表には出ない葛藤を通り越した清々しさだけが私たちには伝わってきました。
去年の夏、京都に住む姉が乳がんの手術をしました。取り合えず現在は元気に暮らしていますが先のことはわかりません。ただ姉でなくても私だって何があるかわからない、先のことはわからないのは同じですからね。今を大事にしながら生きていかねば、と思います。
どうぞ孝史さんが、ゆきさんに託された仕事、がん患者が平安に暮らしていける社会の実現に向けてがんばってください。かげながら応援しています。
先日、熟塾の原田彰子さんのご案内でテレビ・ドラマ「ルビコンの決断」で孝史さんとゆきさんの素晴らしい夫婦愛のドラマを拝見することができました。
政治家とは、政権を取って末は大臣・総理になることが目的ではなく孝史さんのように弱い立場の人間に国として必要な援助を行い、こころ豊かな国をつくることが目的のはずですよね。それは必ずしも政権をとらなくともできるのだということが、孝史さんの命がけの挑戦で証明されています。
熟塾に孝史さんが顔を出されても国会議員風を吹かすわけでなく、まして選挙民でもある塾生達にごまをするわけでない孝史さんの飄々とした姿勢が今も目に浮かびます。やはりそれも政治を誠を尽くしてやっているという自負があるから堂々とされていたのでしょう。
ゆきさんもよく孝史さんを支えられたから彼も心置きなく真の政治に没頭できたのだと思います。よく尽くされましたね。「ルビコンの決断」は、いいドラマだったと思います。なにか小生のように定年を過ぎていても自分のできることで人のために役立てるようなことに没頭したいという気持ちと勇気をもらったように思いました。ありがとうございました。
「ルビコンの決断」家族で見ました。山本孝史さんの命を懸けた思いに、少しでも協力できた自分に満足しています。熟塾で、朝鮮通信使の料理を味わった「花外楼」で自己紹介のあと、孝史さんが自ら「集英小学校の後輩です」と挨拶に来られ、吃驚したことを今でも鮮明に憶えています。今をときめく国会議員さんが、僕のような者に自ら挨拶に来られるなんて今の世の中、絶対ないと確信していましたのに。
それからです、山本孝史さんの業績や動きを興味を持ってみたのは。素晴らしい人でした。政治家らしい政治家でした。偉ぶらない、皆の意見を良く聞いていました。そして皆を導いていました。これこそ政治家の鏡だと思いました。それから大好きになりました。
ゆきさんも同じです。今をときめく国会議員の奥さんとは思えませんでした。偉ぶらない、骨惜しみのない働き、気配り、前向き意見など等、貴女も素晴らしい人でした。
僕は20日間入院したことありますが、そのときの医師や看護婦の行動には本当に頭が下がりました。彼らは志を持って医師や看護婦になっているといっても、あんな労働条件の下で働かせるのは気の毒だと今でも思っています。是非そのあたりも考え、「大阪がん医療の向上をめざす会」で活躍されることを祈ります。
日経新聞の番組欄は、5/21 写真入りで、「末期がんを宣告された政治家の命を懸けた決断の再現ドラマ」を紹介していました。
田中健さんが山本孝史さんで、元祖ぶりっこアイドルの大場久美子さんが、山本ゆきさんですか。「・・・。」「・・・。」と、初めのうちは、押し黙ったままテレビドラマを見ていましたが、時々田中健さんが、孝史さんに似てる瞬間があって、「孝史さんが、降りてきてるのかな・・」と、思ったりしました。お二人とも熱演でした。残された時間を、弱い立場の人たちのために、全力で駆け抜けておられた山本夫妻のお姿を、あのとき悲壮感の中にいた私は、今 静かな感動をもって見つめました。
番組「ルビコンの決断」に関わった方々全てが山本孝史さんを、讃えておられましたね。やはり癌を体験した鳥越俊太郎さんの、「全力疾走された山本さんの人生は、幸せなものだったと思う。」というようなコメントに深く頷きました。
尾辻秀久元厚生相の哀悼の言葉を、この番組で聞きながら私も目頭を熱くしました。きちんとりっぱに語らなければと、冷静な表情を努めようとする尾辻さんの瞳は哀しみの色をたたえ、声は涙の湿気を含んでいました。ライバル民主党議員の足跡を、しっかりと国会の歴史に刻もうとする尾辻さん渾身のスピーチでした。人間尾辻氏の、思い、葛藤にも私は心を馳せました。
画面が変わり、山本孝史さんのあとを継いで、癌患者の家族のお世話をする尾辻氏の姿が映し出された時、「このひとは今、魂で山本孝史さんと語り合っているのだ。」と、心を打たれ、涙で胸を熱くしました。
私は現在、作業療法士というリハビリ専門職として病院に勤務しており、緩和ケアチームの一員として業務に従事しております。また、日々の業務とは別に、がん緩和ケアにおける作業療法・リハビリテーションの推進と連携を目的に小さな活動ではありますが活動を行って参りました。
これまで、緩和ケアでの作業療法士の役割は?と聞かれると難しい言葉を並べて、わかりにくい説明ばかりしていたように思いますが、すべては山本先生のメッセージにつきると、番組を見ながら思いました。そのメッセージを是非日本全国の作業療法士にも伝えたい。そして、全国のがん医療のほんの一部ですが、リハビリテーション・作業療法士が「生きること」を支える専門職の一人として活動を始めるセラピストが一人でも多く現れたらと思っております。
今日、テレビの先生のメッセージが私たち作業療法士にも大きな励ましを頂いたように感じました。『「がん=リタイアではない」と先生が最期の最期まで国会に立っておられた姿』を拝見し、たとえ、がんで体が動きにくくなっても、その人がその人らしい生活・人生を送れるようにリハビリテーション職種としてできることはたくさんあるし、それがどこにいても受けることができる日本を作っていかなくてはいけないと強く感じました。
最期の時、「幸せな充実した人生でした。皆さんありがとうございました。さようなら。」を先生が残されたように、一人でも多くの人がその最期の時までこのような人生を送れるように医療に携わる一人として頑張っていきたいと思いますし、自分もそうでありたいと強く思いました。ありがとうございました。
がん対策基本法ができるまでの苦しい戦いを知る者として涙を流しながら、テレビを観ました。6月に山本議員から、「今、超党派で基本法の枠組みを作っているが、がん患者さんたちは何を求めていますか」とお電話がありました。がん患者ネットの一人として厚生労働委員へお願いに行った時に、名刺をお渡しした記憶はあるのですが、議員とお話をしたのは生まれて初めてでした。その時、国に働きかけをしていた主要メンバーが外国に行って連絡が取れず、仕方なく、私に連絡が入ったようでした。生まれて初めて、議員さんと「がん患者ネット」とのやり取りをつないで、世紀の瞬間を、後ろの後ろでほんの少しお手伝いをしました。私の一生の宝物です。その後、がん対策基本法の附帯決議に入れてほしいと押しかけて、「緩和ケア」や「在宅ケア」をアポも取らずに2時間も話してしまいました。山本議員はいやな顔一つせずに熱心に聞いて下さり、緩和ケアを生まれ変わらせてくださいました。本当に感謝しています。
基本法が出来てからの、意見交換会、協議会に、本当に今にも崩れてしまうのではないかと心配する状態なのに、ずっと見守ってくださいました。ありがとうございました。
今、私たち全国の患者・家族委員は、山本孝史さんがいのちを張ってくださった「救えるいのちを救うために」を実現するために、本当にがんばっています。まだまだ、力不足で充分ではありませんが、それでも、みんなで力を合わせて日本に住んでいてよかったと思えるようにがんばっていきます。
山本孝史様 本当にありがとうございました!!これからも、私たち、がん患者と家族を温かく見守って下さいね。
孝史さんは病んでる時も国会の質疑に参加をして普通、わが身一番なのに公の場で国民に訴えて・・・。かなり無理をしてたと思います。だから僕みたいな世間知らずにも理解が出来たのですね。
少し前は薬剤問題とかを報道は取り上げていましたが、最近は知らん顔ですね・・・。色んな病状で戦ってる人が居てるのに・・・。
いずれ人は死を向かえますが、総ての方が平等に迎えれる社会を望みます。暗い話ですが大切な事と思います。当方も自営業なので今の時代は厳しいです。
たまに同業の人が「死んだ方がいいな」と言います。僕は孝史さんの影響か、生きてるからこそ乗り越えれるのと違うのって思います。
時代や社会は生き物と同じだと感じてますから「今やで!」と言いたいです。生きてこそ社会貢献だと思います。
ゆきさん!
孝史さんの生涯は、今の政治不信を払拭し、こういう政治家、いや人間がいたということを示し、若者に限らず多くの人たちが人間への信頼を取り戻すのではなかしら。番組については、残念ながら地上波では見ることが出来ませんが、事務所内にBSをもっている人がいるのでDVDにとってもらい見ることにします。ゆきさんの仕事として、どんどん先生の遺志を伝えて行ってほしい。
テレビ東京の番組も拝見させていただきました。
この番組をみて『現在のがん医療の環境がわかった』と言うメンバーも何人かいました。
山本孝史議員の努力があって今がある事を伝える必要を感じました。私は今の活動をしていると『生きている!』って思えます。それも山本孝史議員がバトンを渡してくれたからです。
この想いを1人でも多くの人に伝えたいと思っています。そして少しでもより住みやすい社会に変えたいです。そのために、当事者の声をあげられる社会にしたいです。その声が反映される社会にしたいです。
今後とも身の丈で頑張ってみます。
「ルビコンの決断」ドラマ、見ました。命の限りを思い、明日はあるかわからない命と思うなら、今日の生き方も全く違った生活をしているのではないだろうか?とつくづく思いました。
生きている間に、一番やりたい事から順番に行動し、後悔のない生き方をするだろうと思いました。
生きているのは当たり前のように生きている昨今。少しわがままになっている感じもします。
私も残された人生がどれだけあるか?いつ死ぬのだろう?と思うと このままではいけないと思います。
テレビみました。吸い込まれる内容でした。壮絶。とにかく 「感動、そして・・すごい!」これしか無いです。
なんとも 言葉がでませんし、見つかりません。が、山本議員さんがこんなにすごい人で、偉大な方だとは思っておりませんでした。
正しく、真の政治家なのですね。
昨夜の山本孝史さんを主人公とするドキュメンタリードラマ「ルビコンの決断」。夜の会議を早々に引き上げて10時直前に帰宅し、しっかり、テレビの前に陣取って観ました。
街頭で演説をしておられる実際の山本孝史さんに、理事会でお会いした山本孝史さんが、重なって見えました。すっかり細くなってしまわれて・・・
「がん対策基本法」をまとめられたこと、すごい事だったんだ、とまた改めて思いました。惜しい方を亡くした、とこれまたつくづくと思いました。
昨夜の山本孝史議員の番組、拝見しました。山本議員とは、あしなが育英会が朝日新聞から表彰された時ですから、随分、前になりますが、東京で開催されたパーテイの席で一度、お会いしたことがあるだけに興味を持って視聴しました。いい番組でした。
末期ガンを懸命に生きられ、患者のためにつくされた 山本孝史さん。先日21日夜 放映された政治家山本孝史の人生、生き様を感動もって、また涙してみました。最後に振り絞って患者のため、限られた時間のなかで最後の仕事を達成されたこと、我々の想像を超えた壮絶な戦い、ご夫婦の信頼、特に奥様の支えがあって、ご自分の信念を達成されたと思いました。 短い命の中で、弱者救済のため、本来の政治のあるべき姿を教えていただきました。
ルビコンの決断 「命を削って、命を守った政治家・山本孝史の決断」 。 私と家内は番組が終わっても数分間の沈黙が続きました。 感動のあまり、又、考えさせられる多くの問題が一度に襲い掛かり、私達老夫婦には受け止める気力がなく、虚脱感のみ余韻として残りました。 あっと、我に返り、今夜の「ルビコンの決断」の主人公・山本孝史議員の 物凄い壮絶な人生の幕引きに、あらためて尊厳の念に体中が熱くなった次第です。
山本孝史先生は末期がんを宣告され、余命いくばくもないご自分の立場を しっかりと見つめなおされ、残された短い人生に、どうように 挑戦すべきか考え抜かれた事でしょう。
「がん=リタイヤではない」の信条に基づき、残された天命で与えられた使命を 全うすべく、がんと闘いながら立ち向かわれました。 がん対策基本法の成立 医療の向上と社会保障制度の充実 生命を大切にする政治の確立 以上のやり遂げなければならない課せられた使命に、全身全霊で、自らの命を 削りながら、一日一生の信念で取り組まれました。
激痛と朦朧となる意識に、万全の気力を振り絞り、挑戦されました。 がんと闘いながら、亡くなっていかれる年間30万人の方々に、 山本孝史先生は自らの壮絶な行動で勇気と希望を与え続けられました。
「良く死ぬとは、良く生きる」「一日一生」の言葉は、私達老人はもとより 成人にも力強い教訓です。 課せられた使命、与えられた天命 一日一日大切に良く生きていきたいものです。
私達老夫婦の「いのちのバトン」は小さなバトンですが、必ず教えに従い、 手堅く次の人達に手渡してまいります。 天に召された山本孝史先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。 ありがとうございました 。
21日22:00からの山本たかしさんのTV、HDDに 録画して今朝見ました。がんが発見されてからのがん対策基本法の成立まで悲壮なまでの頑張りで成立にこぎつけた活躍は感動せずには見られませんでした。それまでの不幸な人々への数々の活躍には頭が下がります。58歳と若い歳で亡くなってしまい、せめて後10年は活躍してほしい 人物でした。
「ルビコンの決断」を見た時、 最後にたかしの顔を見た日の事が強烈に蘇って来ました。それは彼が天に召される丁度3か月前の9月22日でした。
私自身肝臓癌を患つて数回の簡易手術を受けたがまだ極く初期の段階であるにも関わらずじっと座っているのも辛く、何をする意欲もわかず、病気の辛さが痛いほど分かっています。
それだけに病院のベッドで横たわりながらパソコンにかじりつき、必死で文章を打ち込んでいる姿を見た時、彼から日本に残された数少ないサムライの姿を見ることが出来、心から感動しました。
それは自分の命をかけて日本国を守るサムライの姿そのものでした。明治維新に命をかけて日本を欧米の侵略から守ったサムライ達の姿は、今の日本では全く見る事が出来ません。
唯自分の政党が政権を取ることをだけを考え、日本国の事を考えている政治家は殆ど居ませんん。こう言う時にこそ山本孝史が日本国のリーダーとなり、日本を本当に世界の中で誇りを持てる国にして欲しかったと痛切に感じました。彼なら十分にそれが出来た筈です。本当に本当に残念でなりません。
週末出張から戻り、録画しておいた「ルビコン」を拝見しました。
本当に、愛する方の思い出やエピソードを掘り起こすというのは心をえぐられるような作業だったのではないかと拝察します。でも、仰有る通り、そのことで山本孝史先生に近づかれたのですね。今度はゆきさんを通じて、「救えるいのち」に対する先生の思いが達成されていくのかなと感じています。
私が見てきた医療現場の方達の多くも献身的で良心的です。その人達の努力も報われ、むろん患者も報われるようなシステムになれば・・・という思いで伝えてきまたしたがなかなか急には変わらないのが現実です。だから、諦めずにこつこつやり続けるしかないかなと思っています。
山本先生の命がけのがん対策への取り組みを尾辻先生が敬意を評していらっしゃる姿 ーー ルビコンの決断を拝見させていただき、その理由が心にストーンと落ちました。
山本先生の果たされたお仕事の大きさ、献身的に捧げられたゆきさんの日々 – 静かな感動に包まれました。
「救えるいのちのために」を再読させていただきました。偉大なお仕事を遺された山本先生に心よりご尊敬を申し上げます。
本当にありがとうございました。これからの限りあるいのちの使い方を教えていただきました。
突然お便りする非礼をお許しください。実は、昨夜入院中の病室で山本孝史先生の番組を拝見し感激、ペンをとった次第です。
先生の活躍するお姿、お声に接したのは今回が初めてです。国会中継は紋切り型の棒読みが多いのでめったに見ません。ところが、先生は大違いだったんですね。今さらに悔やまれることですが、今回の放映でその片鱗を拝見させていただき感激しました。
やつれてはいらっしゃいますが、お目はランランと輝いておいででした。「がん患者を救わずんば!」の使命感がヒシヒシと感ぜられます。
今回の入院で医療行政の歪みが医療者、患者に甚大な被害を及ぼしているのを痛感しました。第二の山本孝史先生の登場が待たれること、切なるものがあります。
ルビコンはとてもコンパクトにまとめられていてとてもよかったですし、見た人がたくさんいて嬉しかったです。
でも、本音を言うと、私には物足りなかったです。もっともっと自分を突き詰めていた『議員としての山本孝史』を写して欲しかった気持ちもあります。だって、山本孝史さんほど議員として立派な人はそういないからです。尾辻議員は別ですが・・・。
でも、ルビコンを見た人は『がん対策基本法の過程がわかってとてもよかった』と言っていました。 きっと、この基本法に魂を入れるお手伝いをしてくれるでしょう。
今後とも、この基本法やがん対策推進基本計画を、『これでもか!』って言うほど利用したいと思っています。
がん告知・余命通知を受けての山本たかしの活動実録と妻ゆきの支えをドラマ風に制作されていました。山本たかしを取材したニュース映像を挿入しながらの解説を挟んでの番組進行は、大変写実的でした。
山本たかしのがん対策基本法成立への情熱がよく伝わってきました。山本たかしがいたからこの法案が成立したことには感動を覚えました。もっと、もっと活躍させてい政治家でしたね。
エンディングテーマ曲「流星の輝き」のタイトル通り輝きつくして光を与えて旅立ちましたね。山本たかしのような私欲にない政治家が活動できる政界になってほしいですね。
山本たかしを支えた「ゆき」さんがニュース映像でご登場されたことは慰めでした。山本ゆきさんには、もっと前面にでて山本たかしがまいた種をますます大きく育ててほしいものですね。
「山本ゆきさん、ますます頑張ってくださいね・・・」応援しています。
「ルビコンの決断」という番組は初めて見ました。見終わったとき、私はやはり胸が詰まり泣いてしまいました。が、娘の第一声は「ゆきさん、孝史さんみたいな人と一緒になって幸せだねえ」でした。
本当にますます大きく、また今の世にもっとも必要な人と痛感しました。
孝史さんは亡くなったことによって、忘れられるどころか、こんなふうに番組が新たに作られるのですから、日本も満更、捨てたものではないのかもしれませんね。
感動しました。自分の余命を知った時、人は何を思い、何をするのでしょうか。
人様々でしょうが、悔いのない終末を迎えることができればという思いは同じだと思います。 思いは同じでも、なかなかそうはいかないのが現実だと思います。
山本さんは、それを見事になしとげました。それも世のため、人のため、身を犠牲に して社会に貢献しました。社会保障のスペシャリストとして国会で活躍し、これからという時に、志なかばで病 に侵された無念さは想像を絶します。それを乗り越えて成し遂げた業績は、のちのちまで大きな教訓として生かされるべきだと思います。
壮絶な生き方、ただ感動あるのみでした。
自分さえよければという、自己中心の社会になってしまったと嘆かれる最近の日本ですが、山本さんのように自己を犠牲にしても、人のため、世のために仕事をし、業績をのこした人物がいたということは、まだまだ日本人も捨てたものではないという救いを与えてくれます。
番組、拝見しました。とても、良かったです。
厳しい病との闘いの中にあっても、山本先生が燃やし続けた政治家としての使命感と情熱、それを支えたゆきさんの想いが、丁寧に描かれていたと思います。
山本先生の功績と「命を大切にする政治」という信念を、改めて、皆さんに知ってもらえたことは、大きな意義があったと思います。
今回、私たちの映像を番組に活かせてもらえたことを、嬉しく思っています。選挙最終日の渾身の演説、そして素晴らしい笑顔を見て、私は先生から、また、元気というか、生きる力をもらいました。
今、先生の意志を受け継いで、ゆきさんや尾辻さん、多くの患者の方々、医師の方々が、一層のがん対策の充実を目指して、頑張っておられると思います。私どもも、がん対策の今後を見つめ続け、お伝えできればと思います。
改めてになりますが、山本先生やゆきさんとお会いでき、取材させていただいたことに、心から感謝します。(ジンネット)
山本ゆき様
今日の朝日新聞の「はがき通信」という,TVの番組の視聴者の感想を載せるコーナーに「ルビコンの決断」を見た女性(68歳)の文章がありました。感動を共有できて嬉しいです。
はがき通信(5月27日朝日新聞朝刊)
「敬意と感動を覚えた 21日の「ルビコンの決断」(東京系)を見ました。元民主党参議院議員の故・山本孝史氏が「がん対策基本法」を成立させるまでの厳しい道のりを知りました。交通遺児育英会に就職され,地道な草の根の活動から弱い人たちの味方になり,そして自らの病の中で,真の政治家としての一生を全うされました。山本氏のような政治家がおられたことに,心からの敬意と感動を覚えました。来る選挙を前に考えさせられました。(東京都杉並区・西村美佐子・主婦68歳)」
今、BSジャパンで「ルビコンの決断」を見ました。「幸せの王子」を引用した場面で、ジーンときて、尾辻さんの「先生、外は雪です」でまた涙。ゆきさんは最高に素晴らしい方と巡り会ったのですね。
本日ルビコンの決断を見ました。(こちらでは地上波の放送がございませんでしたのでBSで)改めて山本先生の偉大さに感じました。
参議院議員になられてからは、お会いする機会もございませんでしたが、議員会館にお尋ねした際にも気さくにお話をしていただいたことを今でも思い出します。
臓器移植法の時も脳死の問題が置き去りにされ、移植だけが進められて行く方向でしたが、先生の対案提出でいろいろな問題が国会で話され法案が成立したことも思い出されます。
私の母は2002年にすい臓がんで亡くなりました。医師に話をされた時は、何も考えられず本人への告知はしませんでした。余命は、半年から1年と言われました。
田舎の町立病院でしたので、末期のすい臓がんに効く抗がん剤も今はないのでこれといった治療方法もないので、特に治療もしないとのことでした。それでも、お願いして一度だけ、抗がん剤治療をしてもらいました。
7月に入院、10月に一時退院、2週間ほどで様態が悪くなり再入院。12月26日になくなりました。今思えば、きちんと話をして、もう少し大きな病院できちんとした治療をしてもらっていれば、もう少し長生きできたのではないかと悔やまれてなりません。
人間は必ず死にます、しかし余命がいくらと宣告するのは簡単には言えるものではないと思います。話す側も話される側も、その覚悟と勇気が大変必要に思います。それがなかった私のような方はとても多いのではないかと思います。
告知した場合としない場合では治療も違ってくるのが現実ではないかと考えます。私のような勇気のない人間にとっては、本人に告知することをサポートしてくれるような体制が必要に思います。
とりとめもない文章で申し訳ありませんでした。山本様の益々のご活躍をお祈りいたします。
昨夜、BSで見ました。とても感動! ゆきさん、強いね! 自分がつくづく、へたれだなと思います。ゆきさん、辛い事いっぱいあったと思うけど山本さんと生きられて幸福だと感じます。
先日テレビ拝見いたしました。今更ながら残念です! 山本様のように本当に国民のために頑張ってくださる方を私たち有権者はきっ り見据えて、選出しないといけません!つくづく今の政治家に見習ってほしい限りです。
田中健さん、山本さんの仕草をだいぶ研究されましたね。彷彿とさせるところが随所に見られました。よかったです。
孝史さんは多くのことを生み出して逝かれました。中島みゆきの「誕生」はまさにその意味だったんですね。
BS Japan「ルビコンの決断」見ました。山本さんとゆきさんの決断に私たちは感謝しなければならないと思いました。
山本さんがもし議員になっていなかったら、ガンに罹患していなかったら、といろいろ想像していまいました。
山本さんがいなかったら薬害エイズや介護保険、年金制度はもっと悲惨な状況になっていたでしょう。また、自殺対策やがん対策も現状よりもっと遅れていたと思います。
山本さんは私たちにバトンを渡しました。山本さんの願いを、思いを、夢をしっかり引き継いで、「命を守る社会」を築いていかなければと改めて思いました。
偉い先生や、偉いお役人が出てきてどれだけデーターを掲示しても、患者の生の声には勝てません。
山本議員が国を動かしたのもまさにこれだったのですね。
BSジャパンで「ルビコンの決断」を拝見。メールのところや、新宿駅前で選挙演説をしているところ、おふたりの心情を思うと切なくて、でもとても勇気にあふれていて、録画を何度も再生して見ました。
がんによって肝臓の機能が低下したときの倦怠感は、患者さん本人にしかわからない、と医師から聞きました。
抗がん剤に耐えつつ倦怠感と闘ったのは、なすべき使命があったからなのですね。政治家としてきっちり孝史さんのバトンを受け継いだのは尾辻さん(他にもいらっしゃるとうれしい)。
ゆきさんは患者の家族として、また使命に殉じた政治家と共に闘った家族として、そのバトンを受け継いでいるのだと思います。
これからも応援しています。兄をがんでなくしたわたしにもできることがあったら、できることから始めたいと思っています。まず勉強が先かもしれませんが。
東京新聞(2009年5月27日) 「反響」欄
◆「ルビコンの決断」(21日・東京) 末期がんと闘いながらも、最後まで力を尽くした故山本孝史参議院議員。同氏が自ら国会の場で、がんであることを明かし、がん患者やその家族をサポートするための政治活動を続けたのは有名な話。それだけでなく、当初から福祉活動に熱心な”福祉のエキスパート”だったことも分かった。何人分もの仕事を成し遂げた立派な政治家であったと思う。(相模原市・津久井隆広47 自由業)
06年5月22日の代表質問に立たれた日以降は参議院のホームページの審議中継で、その都度、山本議員の発言を拝見させて頂いていましたが、さる5月21日のテレビ大阪で「命を削って命を守った政治家・山本孝史議員」を涙して観せてもらいました。
改めて偉大な社会保障制度に精通した政治家を失った事実を実感するとともに、山本議員以上にがんの痛みを心の痛みとされ、ご主人を看病されたゆきさんのご心痛はいかばかりであったか。
山本議員は本当に立派でした。自分が進行性のがんと認識されるや、目標をがん対策と定め、まさに命の決断で「がん対策基本法」成立を推すため参議院本会議で「自らががんであると告白の上、基本法の成立を促す」代表質問に立ち、審議未了もありうる状況の中で見事に成立させられました。
さらに、がん患者・家族が「がん対策推進協議会」のメンバーに入れるように関係者を説得して、日本のがん治療が将来、正常に発展していけるレールを敷かれたなど、社会保障制度のスペシャリストの国会議員として立派な人生を生き切られたと敬服いたしております。
「ルビコンの決断」を見られた全国の医師を含む医療者の方々や、がんを患っておられない人も、山本議員が命をかけて成立させたがん対策基本法を充実させていかねばと思ったのではないでしょうか。そういう意味でもとてもいい番組だったと思います。
医療ソーシャルワーカーとして働いています。今まで、いろんなメディアで取り上げられていた山本先生の国会での発言や、がん対策基本法が議員立法でできるまでの過程など、「ああ、録画したら良かった」などと思っていました。
それらがすべて「ルビコンの決断」の中で取り上げられまとまっていましたので、よく理解できました。
DVDを看護学校にもお渡ししようと思っています。
テレビ拝見しました。録画もしました。最後まできちんと責任感を持ち続けて生き切る。普通の人にはできないことです。今の医療も問題が多くて、つい、生きていらしたらと思ってしまいます。
先日、テレビ大阪での放送を拝見しました。最後まで痛みに耐えて仕事を成し遂げられた山本君の姿を見て、ただただ立派だなあと感心し、同級生として誇りに思いました。小学生の時は、とても優しそうでしたが、目立つほうではなく、理知的な少年でした。
いつも弱い立ち場の人たちのために戦ってこられたこと、素晴らしい人生を送られたと思います。
今回のテレビ放送は、友人・知人に見てもらえるよう連絡しました。最後まで自分の意志を貫き通した山本君を支えられたゆきさんもやはり優しくとても素敵な方だと思いました。
5月21日放映のドキュメントを見て筆をとりました。
山本議員のご活躍は報道などの情報に接して心より声援を送っておりました。患者の立場から自分の生命を顧みることなく、がん医療の改善に突き進まれたお姿に敬服しております。
私自身は患者ではありませんが、死亡率一位のがんに対して社会として本当に必要な道を拓いていただいたことがありがたく、感謝しております。
山本議員の壮絶な生き方には感動を 禁じえませんが、それを支えられたゆきさんのご苦労もお察しできないほど大きかったと思います。どうか、受け取られたバトンをを持って前に進まれますようお祈りしています。
孝史さんのテレビ見ました。何度見てもすごい人でその横にいたゆきさんも素晴らしい人なんだとあらためて思いました。
孝史さんにもっとお話聞きたかったな。一緒に食事もしたかったな。お酒も酌み交わしたかったな。
ゆきさんは偉い人ですね。あんなに献身的に一人の人だけを思い尽くした人は まあいないと思います。それだけに辛いですよね。
山本孝史さんの「ルビコンの決断」をみました。DVDを借りて見せていただきました。当時の山本さん、ゆきさんの実像もあったので、なつかしくもあり、いいドキュメンタリードラマでした。
こうして語り継がれること、それが孝史さんの遺志を生かすことですね。
山本先輩は、会うたびに大きくなっていく人でした。物静かだった彼のどこに秘められたパワーがあったのでしょうか。
僕は、大場久美子さんと同年代。ルビコンのHPで予告を見た時に、ゆきさん役のこの女優さんは誰? と思いました。大場さんは見違えるように変わりましたね。これを契機に渋い役で活躍してくれたらいいなと思います。田中健さんと大場さん、思いがけない配役でしたが、二人ともとてもよかったです。
ニュースなどで断片的には山本先輩のことは知っていましたが、今回の番組でよくわかりました。多くの集英・船場の同窓生が番組を見たと思います。
今DVDを見ました。これだけ遅くなったのはお願いしてとってもらったDVDが特殊な機材を使ったため普通のものでは再生できず、あちこちにお願いして、ようやく数日前、何かを解除すれば見ることが出来ることがわかりました、解除されたDVDが今日届きようやくたった今、見ることができました。
先生の偉大さを改めて知ることが出来、涙なしには見ることが出来ませんでした。わらび座公演終了後の交流会での先生の顔などを思い出すたび、偉大な政治家はいるんだと叫びたい気持ちです。
わたしが先生のことをいつも話をするので、回りでもこのDVDを見たいと言ってくれています。
放送されてからずいぶんたち、ようやく見ることが出来、こうしてゆきさんにメールを送ることが出来ました。
ゆきさんありがとう!
先日放送されました「ルビコンの決断」は、両親と共に見させていただきました。
映像とはいえ、懐かしい姿を見ることができ、嬉しいような淋しいような気持ちになりました。一緒に仕事していた頃、よく携帯にかかってきたのでその声を思い出しました。
もっともっと国会議員として、仕事をして欲しかったと思っています。
ルビコンの決断を見ました。(こちらでは地上波の放送がございませんでしたのでBSで)。
改めて山本先生の偉大さを感じました。参議院議員になられてからは、お会いする機会もございませんでしたが、議員会館にお尋ねした際にも気さくにお話をしていただいたことを今でも思い出します。
私の母はすい臓がんで亡くなりました。医師に話をされた時は、何も考えられず本人への告知はしませんでした。余命は、半年から1年と言われました。田舎の町立病院でしたので、末期のすい臓がんに効く抗がん剤も今はないのでこれといった治療方法もないので、特に治療もしないとのことでした。
今思えば、きちんと話をして、もう少し大きな病院できちんとした治療をしてもらっていれば、もう少し長生きできたのではないかと悔やまれてなりません。
人間は必ず死にます、しかし余命がいくらと宣告するのは簡単には言えるものではないと思います。話す側も話される側も、その覚悟と勇気が大変必要に思います。それがなかった私のような方はとても多いのではないかと思います。
告知した場合としない場合では治療も違ってくるのが現実ではないかと考えます。私のような勇気のない人間にとっては、本人に告知することをサポートしてくれるような体制が必要に思います。
臓器移植法の時も脳死の問題が置き去りにされ、移植だけが進められて行く方向でしたが、山本先生の対案提出でいろいろな問題が国会で話され法案が成立したことも思い出されます。
現在、改正が審議されていますが、先生の思いが改正案に少しでも盛り込まれていればと思う今日この頃です。
「ルビコンの決断」を見ました。山本先生が残されたがん対策基本法が、今は停滞しているとしか思えません。先生が生きておられたら、一気に進んだであろうと思うと残念でなりません。
私の妻は乳がんですが、地方のがん医療はひどいものです。医者にひどいことばを浴びせられました。妻を助けたいだけなのに受けいれてくれる病院がなかなか見つかりません。疲れています。
拠点病院でない個人病院ががんの手術や治療をすることにも疑問を感じます。
ルビコンの決断を見て、山本先生と奥様の偉大さをさらに理解したかもしれません。
私は、田中健さんが、最初から、先生になりきっている姿を見て、既に涙腺が緩み出し、途中からは、涙無しには見られませんで、涙を拭くのは無駄と思い、そのままぬぐいもせずに見続けました。
田中健さんと大場久美子さんの、あまりにも鬼気迫る好演に、迫力さえ感じました。
ドラマが終って、木村佳乃さんの微笑みを見て、先生と奥様の愛の物語と感じたんだなと思い、確かに、二人の好演が却って、その部分を強調してしまった感じはありました。
私の個人的な勝手な希望としては、先生の活躍の数々を見れるものと期待していただけに、寂しい感は正直ありました。
ただ、先生と奥様のプライベートな部分が垣間見れた点は、先生のファンとしては、当然嬉しかったですし、先生のご活躍が、奥様との強い愛と絆によるものと知りました。
鳥越俊太郎さんが、体を震わして、大粒の涙を流している姿を見て、私も号泣の極みに達しました(笑)。でも、先生を少しでも知っている人間にとっては、またガンの治療を受けた鳥越さんだからこそ、あのような涙になったと思います。
先日の山本孝史先生のテレビ番組「ルビコンの決断」を観て、食堂だというのに涙を押さえることができませんでした。
私の父も癌で亡くなりました。山本先生の痩せたお姿が私に父を思い出させ、また涙が出てきました。癌患者のことを最後まで考え続け、働き続けた山本先生を見て、私も癌患者の家族であったこともあり、より一層心を打たれました。
そして、奥様の支えが山本先生の大きな支えであることも強く感じ、とても感動しました。いつか私が誰かと結婚したとしたら、私は山本先生ご夫妻のような、お互いを支え合う素敵な夫婦になりたいと心から思いました。
また、もし私が同じ状況なら山本先生のような生き方ができるだろうか、とも考えました。ですが全くもって想像ができないのです。それは、山本先生の生き方は山本先生にとって”使命”と感じられたお仕事を真っ当することであったのかなと思うからです。
私においては、まだほんの約20年しかこの世界で生きていないということもあるかも知れませんが、この20年間でまだ何かに”使命”を感じることはできていません。
「人間には絶対に一人一人その人にしかできない使命がある」と昔学校の先生から教わりました。先生は「生きてその”使命”に立ち向かっているときは、それが”使命”だと気付かない場合もある。だが、死ぬ時に、「あれが自分の使命だったのだ」とわかるものだ。」ともおっしゃっていました。
人間は何年生きれるか予想不可能の生き物です。私の中では不死身だった父も祖父も、まだ若くして亡くなり、そのことを本当に実感します。
私も今日、明日の命かも知れないし、もしかしたら100歳よりももっと長生きするかも知れません。ですが、例えいつ死が訪れたとしても、その時に少しでも悔いのない人生を送れたらと思います。そして欲を言えば、「あれが私の使命だったのだ」と思えるような生き方をしたいです。
ありがとうございました。(虹の心塾生・ 薬学部薬学科1年)
ドラマを見ながら、以前山本先生があしながのつどいのリーダー研修で講演をしてくださったときのことを思い出しました。先生から受け取ったのはまぎれもなく希望です。自分の人生を通して、そしてあしながの活動を通して理不尽な社会、大人に対して私は不信感がいっぱいありました。
しかし山本先生の話を聞き、姿を拝見し、生き方を見て、世の中には私達のような人のために尽力している人がいることを初めて知りました。すごく嬉しかったです。
私の父の死因もがんです。だから生前やせ細った体で活動しておられる山本先生を見るたびに父の姿を重ね、涙がとまりませんでした。まるで父の姿を見ているようで、父が私に何かを伝えようとしているようで。私は山本先生の意志 を私なりに引き受けたつもりです。そのために今勉強しています。
私も先生を見習って人のために生きる人になります。(虹の心塾生・ 外国語学部英米学科4年)
私は父を自殺で亡くしました。あしなが育英会の精神面、経済面の支えもあって、今は大学に通っています。しかし、自殺で家族を失った悲しみは消えることはありません。やはりつらいです。
そんな中、先生が自殺対策基本法の成立に尽力されたことを知りました。私は涙をこらえることが出来ませんでした。自殺に対して動いてくださったことへの感謝の気持ちを抑えることが出来ませんでした。
また、先生がガンに侵されながらも、ガン対策基本法の成立に向け尽力されたことは、本当に尊敬しております。
私も、自殺で親を亡くした子供たちの支えになりたいと強く思っています。先生のように人のために生きる、そんな人生を私も目指しています。
こんな私ですが、是非天国から応援をよろしくお願いします。 (虹の心塾生・医学部保健学科2年)
自分の死が近づいていることを知りながらも、これからを生きる人たちのために全力を尽す山本先生の生きざまに感動しました。
私もいつか社会において「自分にしかできないこと」を見つけたいと思います。 (虹の心塾生・美術学部デザイン学科2年)
「山本孝史の記録」「ルビコンの決断」を拝見させて頂きました。山本先生は、がん対策基本法を始め自殺対策など社会保障や命に関わるお仕事をされてきました。改めて、山本先生のされたお仕事の偉大さを感じました。
社会保障・健康・命に関わる分野では、日本の政治は走り始めたばかりで、まだまだです。山本先生、天国で何をお考えですか。
私は日本に生きる一員として、山本先生が命を削りながらされたお仕事に、少しでもお役に立てればと思っています。私だけでなく、多くの人の心に山本先生の存在は生きています。
どうかこれからも、天国で見守っていて下さい。(虹の心塾生・ 社会文化学部キャリアデザイン学科4年 )
山本孝史さんが、生前行ったことに関しては、何度も知る機会がありましたが、この度「ルビコンの決断」を観て、改めてその生きる姿勢に感動しました。
“がん患者の立場から、法律を整えていくこと、命を大切にする政治を目指すことが私の天命だ”という言葉が一番印象に残っています。
ご自身ががん患者になるというきっかけから、”天命”と自信を持って言えることは本当に素敵なことだと思います。”天命”であると断言できるだけの想いが、山本孝史さんの強さであり、がん対策基本法の全会一致での可決という結果を導いたのだと思います。
私はまだ、自分の”天命”と感じられるものは見つかっていません。自分は何をすべきか?何ができるのか?何一つ分からないとさえ感じ、不安に押しつぶされそうです。
しかし、不安でも、苦しくても、何かを信じて行動することが必要なのだと感じました。何かがきっかけになることは偶然でも、それを自分の身に起こすということは、行動という結果から起こる必然なのではないかと山本孝史さんの姿を見ていて強く思います。どんな生き方をしていても、本当に強いのは自分の生き方に自信を持って必死で立ち向かっている人だと思います。
私と山本孝史さんの行き方はきっと全く違ったものです。ただ、”天命”と信じて行動したその姿から感じた強さを心に刻んで、私は生きます。(虹の心塾生・ 先端技術学部メディア表現学科3年 )
私が初めて山本先生のことを知ったのは、2007年の夏休みにあしながの大学奨学生採用試験の時でした。小冊子(「いのちをかけて、いのちを守る」)を読んで、あしながの先輩にこのような人がいるんだとその時に知りました。その冊子の内容は印象的で、自分自身ガンと闘いながら国会議員としての仕事に尽力している姿に心打たれました。
山本先生は多くの救える命を救うために命をけずりながら最後の最後まで尽力されました。心塾に来て山本先生のことを詳しく知るようになるにつけ、自分には何ができるのか考えさせられます。
私自身まだまだ未熟ですが、山本先生のように苦しんでいる人、困っている人のために何かできる人間になりたいと思っています。山本先生が残されたバトンを受け継ぎ、これから頑張っていきたいと思います。(虹の心塾生・ 工学部応用化学科2年 )
病気になってまで人のために動くことの出来る山本孝史さんに胸を打たれました。
私も前に向かって進む努力をしなければいけないと思わされました。山本孝史さんの人生は、誰かを触発出来る素晴らしいものだと思います。
それを見守るゆきさんは、いろいろな不安や心配をしたと思います。見えない絆が見えたようでした。(虹の心塾生・ 薬学部薬学科2年 )
山本先生が、がん対策基本法を天命だと信じて命をかけてやり遂げたことを知り、私はとても感動し、勇気づけられました。それて人間が本当に大切にしなければならない思いや姿勢を山本先生は全力で私たちに教えてくださったのだと思いました。
「がん イコール リタイアではない」と先生はよくおっしゃっていましたが、おそらく先生は自分自身に言い聞かすように、その言葉を使い続けたのではないでしょうか。自分の病気と闘うことで、精神的にも体力的にも精一杯なはずなのに、同じがん患者やその家族のために、国を変えたいという思いで自分の身体に最後まで鞭を叩いてやり遂げることは普通はできないことだと思います。やはりまっすぐな先生の思いとそれを支える奥さんの力だと思います。
私自身、小学6年生の頃に父を肺がんで亡くし、とても悲しく寂しい思いをしましたが、やはり一番辛かったのは父本人と父を支えていた母親なのだと、先日の特集「ルビコンの決断」を見て、あらためて感じました。
私も山本先生の思いと強さを胸にこれからも、自分の信念を貫き、まっすぐに力強く生きていきたいと思います。(あしなが心塾生・美術学部絵画学科日本画専攻 3年)
一昨年の七夕の夜に先生と出会ってから、私の人生は大きく変わったように思います。先生のお話を聞きながら、私は先生に自分の父の姿を重ねていました。私の父は私が小学校3年生のときに癌で亡くなりました。私は父が癌だということも知らず、父に何もしてあげられないまま父は亡くなってしまいました。だから、父と同じ病気と闘っている先生に自分の父を重ね、何かできることがあればと、選挙のお手伝いをさせていただきました。
今回、「ルビコンの決断」を見て、あの選挙も、そしてそれまでに先生がされてきた決断の先には本当に多くの人の命があったのだと改めて感じました。
メキシコには多くのストリートチルドレンや路上生活者がいました。彼らにとって生きるとは一体何なのだろう、彼らは死が自分の目の前にやってきたとき、何を思うのだろうかと、彼らを見て考えていました。生きることは生きているすべての人間に平等ではないけれど、死だけは生きている人間すべてに平等だと感じました。それが正解なのかも分からないし、人が死んでいくということはどういうことなのだろうかと研修中もいろいろ考えていましたが、未だに答えはわかりません。それが当然なのかもしれません。でも、これからも考え続けていきたいと思います。
私の将来の目標は、音楽療養士になり、病気で苦しむ人の痛みを少しでも癒し、また残りの時間を少しでもよいものにするお手伝いをすることです。そしていつか、お金持ちも貧乏も関係なく、国も超え、死を目の前にした人の痛みを癒せるような音楽療養士になりたいと思います。
先生に出会っていなければ、私はこの目標を持つことはなかったように思います。先生に出会えたからこそ、私は人が生きること、死んでいくことについて考えるようになったのだと思います。ありがとうございました。
先生の「命のバトン」を私もしっかりと受け取って生きていきます。(あしなが心塾生・芸術情報学部音楽表現学科5年)
先日拝見しましたドラマ「ルビコンの決断」についてですが、私は山本先生について新聞などを通じて存じ上げてはいたものの、それ以上に先生の「生き方」をより深く知ることができたと感じております。
山本先生はご自分の余命を考えた際、天命としてがん対策基本法成立に全力を尽くされました。山本先生の最後までご自分の理想を追い続けたその姿に私は心を打たれ、それと同時に、亡くなった私の父の姿をどこか山本先生に重ねてしまいました。
私の父は私が9歳のときに食道がんで亡くなりましたが、「最後まで働き続ける」と、亡くなる1週間前まで仕事に出ていた姿が思い起こされます。食事も喉を通らず、みるみる痩せていき、辛そうな父の姿を見ていると、父がどうしてそこまでして働くのか、なぜ入院を拒むのか、当時の私には理解できませんでした。しかし、今考えると、命に限りがあるからこそ、自分にできること、さらには自分にしかできないことを全うし、またその姿を私に残したかったのだと思います。
命を力強く燃やして逝かれた山本先生。山本先生が成されたこと、山本先生の生き方は、私たち遺児の生き方に大きな夢と可能性を示してくださいました。命の大切さ、そして私たちが今生きている、それがどんなに幸福でどんなに尊いことなのかを胸に、生きていきます。天国から見守ってください。 (あしなが心塾生・法学部法学科1年)
昨年一年間、アフリカのウガンダへ行きました。その時、必ず持って行こうと前から決めていたものがあります。山本先生の「感謝のことば」です。周りや自分から自分へのプレッシャーで壊れそうになった時、何度も山本先生のことを思い出しました。この手紙を初めて読んだ時から今まで、山本先生のことを思い出すたびに「バトン」ということばが頭に浮かびます。
今までに辛い思い、悲しい思いをした私たちだからこそできることがある。山本先生が私たち後輩遺児に「期待して」いることは、弱者が弱者を救う世の中を作ること。
それはウガンダでも同じでした。200万人のエイズで親を失った子供たち、彼らは生まれて、親を失い、今までどん底の苦労をしてきました。彼らには彼らにしかわからない気持ちがあり、それが今の不正にまみれたウガンダ社会を変えることができるのだと確信しました。
そしてもう一つ、私が山本先生から頂いた大きな課題があります。それは、命が終わる時、「幸せな人生だった」と言えるかということです。
「大変幸せな充実した人生でした。みなさん、本当にありがとうございました。さようなら。」
こんな素晴らしい課題を頂き、山本先生には心から感謝しています。「幸せな人生だった」と言える人生ほど幸せなものはありません。
山本先生のバトンはすでに受け取りました。私ができることはほんの小さなことかもしれません。でも、想い続けていることは叶います。また心が挫けそうになった時は、山本先生からの手紙を読ませていただきますね。(あしなが心塾生・人文学部国際コミュニケーション学科5年)
過日に放送されました、山本先生の番組「ルビコンの決断」を拝見いたしました。
山本先生自身がガン患者であることを告白された日、テレビ画面越しに拝見したその様子を、私は今でも覚えています。
私の父も、私が幼い頃にガンで亡くなったからです。父が生きていたら…そう考えることが多々ありました。その気持ちにピリオドを打つことができたのは、あしなが育英会のつどいです。
あしなが育英会の運動の支えとなった山本先生への感謝は尽きることがありません。 (虹の心塾生・文学部心理こども学科4年)