山本議員いのちの闘い〔アエラ〕
アエラ 2007年9月3日掲載
「国会に戻って来て、まだ、ここにいるわという不思議な気がした。また仕事ができるというジワッとした喜びがわいてきました」
参院選比例区で当選した民主党の山本孝史さん(58)は、選挙後初の臨時国会に望んでいる最中の8月8日、静かにそう語った。
体重は10キロ以上落ちた。しんどい。何とも言い表せない倦怠感がつきまとう。抗がん剤や痛み止めなどの影響だという。
「がん難民」の国
「胸腺がん。肺と肝臓に転移あり」と診断されたのは2005年の末のことだ。もう手術の効果は期待できず、抗がん剤治療を続けることになった。それからしばらく連絡がとれなかったが、06年春に、筆者は山本さんからこんな手紙を受け取った。
「いまや2人に1人は一生の内で一度はがんにかかり、日本人は3人に1人はがんで死亡する時代です。自らの体験も踏まえて、望ましい医療制度の構築に向けての国会活動ができれば最高です」
間もなく、すっかりやせた山本さんの活動が始まった。
「がん治療には地域間格差、施設間格差があり、治療法があるのに『もう治りません』といって見放された『がん難民』が日本列島をさまよっている。救える命がいっぱいあるのに、次々と失われている」
昨年5月の参院本会議でがんであることを告白し、がん対策基本法案の早期成立を訴えた。涙をぬぐいながらの演説に与党席からも拍手が起こり、会期末に成立にこぎつけた。また同じように訴えた自殺対策基本法も成立した。「山本の熱意にこたえよう」が与野党議員の合言葉となった。
5歳の時に2歳上の兄を交通事故でなくした。そんなこともあって学生時代は交通遺児の支援活動に取り組み、そのまま交通遺児育英会で活動を続けた。日本新党から衆院選に出馬して議員になってからは、年金、医療、介護など社会保障を専門としてきた。
2つの法案には「いのちを守ることが政治家の仕事」という思いもこもっていた。
しかし、がんは完治するということはない。参院選にまた出るのかどうか。迷いに迷ったに違いない。医師からは治療が限界にきており、何を選ぶのかよく考えてとも言われた。だが、最終的に出馬することを決めた。
「何か見えない力で、これはお前の仕事だと回ってきている気がする。それを素直に受け止め、やれるところまでやろう。いのちを大切にする仕事をやるチャンスがあるのなら、やはり、やらなくてはいけない」
この5月。がん患者や自殺防止運動の活動家、交通遺児を支援する人たちが集まった小さな会合で、たんたんと決意を語った。
一日一生
6万7612票。民主党では最後、比例区でも下からの2番目の明け方の当選だった。しかし、一票を投じた人の顔が見え、思いが伝わる。今回ほど重い票はなかったに違いない。
選挙後。山本さんはさっそく活動を始めた。国会の行事のかたわら、携帯酸素を引きづり、医薬用麻薬などの承認を検討する厚生労働省の会議に出席した。また、C型肝炎の患者の声を聞く党の会合にも足を運んだ。
<朝、目覚めるとき、また、一日分のいのちを与えてもらったと思うようになった>
<どんなに小さなことでもいいから、一つでいいから、良かったと思えることをしたい>
昨年夏から、災害や病気で親を亡くした子供たちを支える「あしなが育英会」の機関紙にコラムを連載している。初回は「一日一生、一日一善、一日一仕事」と題して、こう書きつづった。
山本さんの「いのちの闘い」は一日一日と続いていく。
(論説委員 梶本章)