フォーラム「生きるということ」
四谷 主婦会館
俵さんは、まず、戦争を体験した一人として「戦争は絶対にしてはいけない」と述べられました。
「11年前に乳がん手術をされたときに、温存療法は3割ぐらいで、がん医療は女性に冷たいと感じた。がんについて発言せねばと思い、がん患者の相談にものり、乳がん患者さんたちと、心の中で1、2、3と号令をかけて思い切って温泉に入ろうと「1,2の3で温泉に入る会」を作り、毎年温泉を楽しんでいる」などのお話をされました。会員で亡くなる方もおられ、生かされている自分は何をすべきか、亡くなった方々に代わってがんと闘わねばと思う」とも語られました。
ケアタウン小平クリニックの院長の山崎章郎さんは、患者と家族のトータルケアをめざし、地域に根ざした街づくりをされています。「人はどんなときに生きる希望を失うのか、そしてどう再生していくのかと考え続け、病気の人は、自分で日常生活が難しくなって他人に迷惑をかけると思ったとき生きる希望を失う。しかし、本気になって一緒に生きてくれる人が側にいてくれれば、また生きようという意欲がわいてくる。いじめに苦しんでいる子供たち、自殺しようと思いつめた人の側に誰かがいれば生きられる」と語られました。
鈴木共子さんは、7年前、早稲田大学に入学したばかりの一人息子の零さんを無車検・無保険の車にはねられ亡くしました。その前には夫をがんで失い、息子だけは守らねばと思っておられたそうです。零さんの死をきっかけに、刑法の改正運動を行い、2年間街頭に立ち、約37万人の署名を集め、「危険運転致死傷罪」の新設を成し遂げました。
「法律では命は米粒ほどのもの。犠牲者は命のメッセンジャーとしてあちこち駆け回っている。死んでも役に立っていると思い、ただ、前へ、前へと思いながら生きてきた」と語られました。そして、鈴木さんをモデルにした映画「ゼロからの風」を紹介されました。
最後に山本が、「自分は生かされている。どこかでがくんとくるかもしれないが、身近に支えてくれる人がいるということは幸せなこと。がん患者になって、こういう医療が続いている限りは長生きできないと実感した。末期がんだからもう何もできないというのではなくて、実はそこから新しい、もう1つの仕事が出来る。
救える命があるのに、次々と失われていく。それは政治の責任だ。自殺もがんももっと減らせるはずだ。人間が最後の最後まで、尊厳を持って生きられる。そういう社会にしたい。また、絶対に戦争はしてはならない。」と語りました。(メールマガジン「蝸牛のつぶやき」(7月9日号)でも報告しています)