vol.13 2003年11月〜12月
11月10日(月)号
13勝6敗。大阪で民主党がすべての小選挙区に擁立した19人の候補者の選挙結果です。連合大阪をはじめとする多くの支持団体の結集、そして何より、全選挙区に候補者を擁立して戦った我が党の姿勢を、有権者が高く評価してくださったことの結果と受け止めています。民主党大阪府連総合選対の事務局長として、ご支持ご支援に心から感謝します。
小選挙区では、10区の肥田美代子候補が小選挙区での当選を果たして、現職の7議席を守ったうえで、4区で吉田治候補が国政復帰を果たし、19区で長安豊候補が圧勝しました。
さらに、比例区においても4議席を獲得。5区で稲見哲男候補の3度目の挑戦が実り、3区では人権派弁護士の辻恵、16区で自らも中小企業を設立し経営する樽井良和、18区で「福祉はまちの真ん中で」が信念の前大阪府議、中川治の各候補が当選。
この結果、北摂・北河内は完勝。大阪市内6選挙区に3名の民主党代議士が、また、泉州の4つのすべての選挙区に民主党代議士が誕生しました。
惜しくも当選に届かなかった候補者も大健闘しました。次なる戦いに向けて、しっかりとした基盤が築かれたと理解します。
残念ながら、目標とした小選挙区における与野党逆転は実現できませんでした。しかし、近畿全体での比例区における民主党の得票が自民党を上回ったことからも、有権者の皆さんには、小泉内閣の退陣、二大政党制による健全な政権交代を望む国民の意思が強いことを示していただいたと受け止めます。また、「自民党の生命維持装置」としての公明党との連立に対して、有権者が違和感を持っていることも示されたのではないでしょうか。
政権交代に向けて、民意は確実に動き始めていることを実感します。小泉連立政権は、この選挙結果を厳粛に受け止めるべきでしょう。
民主党は、大阪において第一党の地位を得ることとなりました。大阪経済や都市の再生、雇用の確保、安心で安全な街づくりなど、府民の期待にしっかり応えていきます。
また、直近の国会活動においては、税金の無駄遣いを止めさせること、公平な負担を通じての社会保障制度の安定化、戦争の続くイラクへの自衛隊派遣への反対など、選挙を通じて民主党に寄せられた国民の期待に応えられるよう全力を尽くすことを改めてお約束します。
さらに、今後の国会活動を通じて、マニフェストで国民に約束した政策の実現に努めるとともに、内容の一段の充実に努める決意を新たにしています。
そして、民主党政権の樹立に向けて、来夏の参議院選挙、さらに次期衆院選での与野党逆転に向けて、新たな取り組みを力強く開始します。
民主党に対するご支持に感謝するとともに、さらなるご支持を心からお願いします。
11月24日(月)号
総選挙から2週間。実に慌しい日々でした。この間の主な動きを報告します。
民主党幹事長に就任しました
延期されていた参議院民主党の役員人事。若干の紆余曲折があって、私が参議院民主党の幹事長に選出されるという、意外な展開となりました。
国会議員となって10年。政策は一生懸命にやってきましたが、党務の経験は乏しいのでと固辞したのですが、「それだから良いのだ」という妙な理由で、藁科会長、今泉国対委員長とベテラン陣が支えてくださるとの言葉を頼りに、お引き受けしました。
「自民党の青木幹事長と対決ですね」と声を掛けてくださる方もおられますが、格が違います。それに、他党との関係も重要ですが、若い民主党です。社会党・民社党・さきがけ・保守系と、異なる政治経験を持つ議員の皆さんを、ひとつにまとめていくことが何より大切。民主党に新しい政治文化を作り出すことが私の仕事と受け止めています。
幹事長としての最初の仕事は、参議院で民主党に割り当てられている委員長の人選と、議員の皆さんに党役員への就任をお願いすることでした。
衆議院だと、1期の新人から10期を超える長老議員まで幅広くおられるのですが、参議院では、1期からせいぜい3期までです。要は、1期、2期、3期の「表と裏」の6グループしか存在しません。
しかも、参議院は衆議院と違って、半数ごとの改選となります。来年は、通常国会の閉会と同時に参議院選挙となるため、改選組みにとって、国会での活動と選挙関連の活動日程が重なることが多くなります。そこで、改選組みは党の役職にはつけないこと、委員長など選挙時の肩書きに配慮することを念頭に役員等の人選を進めました。また、若手を活用すること、合流した自由党議員の配置にも心を砕きました。議員の皆さんがこちらの無理を聞いてくださり、スムーズに人選が進みました。
その後は、参議院民主党の新役員との会合、党本部での、菅代表、岡田幹事長などとの会合が続いています。元気ですが、少し体重が減りました。
年金改革PTの座長を続けます
これまでに民主党の年金改革案を取りまとめてきた経緯があるので、民主党の年金改革プロジェクトの座長を引き続き務めることにしました。
対する自民党では、年金調査会長の津島雄二代議士が、税制調査会長に就任されたため、年金調査会長は空席となっています。なかなか引き受け手がいないそうです。このままでは、年末までに公明党との調整を経て年金改革案をまとめなければいけないのに、「年内のとりまとめは困難」で、女性の年金やパートタイマーへの適用拡大などの課題は手付かずになるとの声がもっぱらです。
基礎年金国庫負担の2分の1への引き上げの時期と財源、給付水準と保険料の上限などの中心的な課題についても、与党間協議に加えて、財務省や経済産業省、さらには経済財政諮問会議や財政審と、厚労省側との意見の隔たりが大きく、その調整が難題です。小泉総理は、もめるだけもめさせておいて、鶴の一声を発するタイミングを見ているのでしょうか。
なお、超党派で年金改革を協議する場を院内に設けることについて、月刊誌で自らも提言された菅代表らに、その進め方についての検討を求めています。
江本参議院議員、大阪府知事選に
選挙明けの11日、大阪の記者さんから「先生と違うことは判っていますが、大阪府知事選に立候補される民主党の参議院議員って、誰ですか?」と聞かれて、ビックリ。
やがて江本参議院議員と判明。参議院幹事長として本人からもお話をお聞きし、すでに民主党の大阪府会議員団が一致して太田知事の再選を支持していることを伝えました。太田知事の「無党派で」との姿勢や、大阪府議団の動きが江本議員に伝わっていなかったのではないかと思われることなどがあって、両者とも立候補することになりそうです。
22日に開かれた大阪府連の常任幹事会で大阪府議団から、太田府政をきっちりと点数をつけて評価した経緯や、太田知事は官僚出身ではあるが、いまやその様な経歴に関係なく、中央官庁に対して鋭く迫っておられること、民主党が進めている政策を積極的に府政に採用しておられることなどが報告され、全会一致で太田知事を推薦するとの決定に至りました。
地元での行事
15日、大阪市から、国家予算に関する要望説明会。前回選挙以降、大阪市内には民主党の代議士がいませんでしたが、総選挙で大阪市内から3名の代議士が誕生。積極的に質問されていました。
私は、「国際集客都市」という目標を掲げている大阪市ですが、これからの街づくりの理念や、その具体策を今一度検討する必要があると感じています。モノや情報のやり取りが中心だった大阪経済が地盤沈下するのは当然です。名古屋はトヨタでもつ、東京は首都でもつ。ならば、大阪は? 16日からは大阪市長選挙が始まっています。
23日には、母校である大阪市立集英小学校130周年記念の集いに出席。3・4年の担任だった藤井先生に再会。こんなに小柄な先生だったかなと思いつつ(自分も子供だった)、45年の年月を超えて、昔話が弾みました。
会場の中央公会堂の前を大学女子駅伝の選手が疾走。母校の立命館大学が初優勝。万歳!
12月7日(日)号
イラクで殺害された二人の外交官の冥福を心からお祈りします。
「テロに屈するな。二人の遺志を継いで、イラク復興を進めよう」。その声に対して異論はありません。しかしながら、日本の果たすべき役割について、今一度冷静に考えたい。そのことが、イラク市民のなかに積極的に飛び込み、危険を承知で武装せずに行動されていたお二人の考えに沿うのではないかと思うのです。そして、重要なことは、「何事もイラク国民の立場から考える」という視点ではないかとも思うのです。
武力行為がなぜ繰り返されるのか
「テロに屈するな」というが、一体全体、テロとはどのように定義されるのでしょうか。
政治的意図のもとに、国家の政治、経済、社会構造に打撃を与えるために行う攻撃的行為」をテロと定義すれば、アメリカで起こった「9・11事件」は明らかにテロです。
しかしながら、イラクの現状を、フセイン政府の残党が抵抗を繰り返していると捉えれば、それは戦争だし、また、軍事力をもって一方的に国土を占領しているアメリカ軍などに対する、イラク国民の民族自決を求めての武力的な抵抗運動と捉えれば、それはレジスタンスでしょう。
私たちは、イラクにおいて武力行為がなぜ繰り返されているのかを冷静に考える必要があります。主体は誰か、標的となっているのは誰でしょうか。
武力行為を力ずくで抑えこめるのか
復興支援といわれても、イラク国民からすれば、復興を必要とする状況を作り出したのは誰か。そして、復興の主体は誰なのかと問いたいところでしょう。
フセイン体制がいかに独裁的で、イラク国民を抑圧していたとしても、そこには一種の「安定」がありました。そんなイラクに対して、アメリカは武力でフセイン政権を崩壊させ、一方的に爆弾を落とし、多くのイラク国民を(フセインに協力的であったか否かは別にして)殺傷し、イラクに混沌をもたらしたのです。
現状でイラクを支配しているのは、国連でも、国際社会でもありません。占領当局であり、米英と軍隊を派遣している諸国です。そんなアメリカや、アメリカに協力して軍隊を派遣している国に対して、イラク国民は好意を抱くでしょうか。
混乱を作り出した側が治安維持といっても、力で抑え込むことでしかありません。イラク国民が欲しいのは、軍隊ではありません。治安の維持に必要なのは、治安維持部隊でもありません。仕事です。収入の糧でしょう。日本が来てくれると期待したら、来たのは工場ではなく、日本商品でもなく、軍隊だった。イラク国民の失望は察するに余りあります。
日本の復興支援費用と、自衛隊などの復興事業が一体となることも構想すべきでしょう。
日本の「国益」とは何か
そもそも、アメリカのイラク攻撃には大義がありません。その上、最大の失敗は、いかにして戦争を終わらせるか、そして、その後、どのようにしてイラクに安定政権を樹立するかの見通しをアメリカが持っていなかったことです。
ブッシュ政権は、そうした失敗を糊塗したい、また大統領選挙前に一定の成果を挙げたい。そこで、軍隊を送っている国の数を増やして自らの戦略が正しいことを示したい、また、同時に、アメリカの行動に批判的なフランスやドイツを屈服させ、アメリカの戦略に加担させたいのでしょう。そんなアメリカに協力することも日本の「国益」にかなうのでしょうか。
日本は何をすべきか
今回の日本人外交官殺害事件は、自衛隊が派遣された地域は「戦闘地域」になる可能性が高いことを示しました。現行のイラク復興支援法での自衛隊派遣は法律違反です。では、法案を改正して、より強力な武器を携帯させて派遣するのか。それは憲法の制約があり許されません。自衛隊員がイラク国民を殺傷するような事態は避けなければなりません。
だからといって、日本が何もしなくて良いといっているのではありません。日本に求められているのは、米英が作り出した混沌を治めるための行動を起こすことです。それは、自衛隊の派遣ではありません。
アメリカの占領を来年6月の予定より早めに終結させて、国連主導の体制に早期に移行することを求めるべきです。そのために、戦争に反対し、イラクに派兵をしていないフランスやドイツなどとの連携を深めて、共同歩調をとることです。中国の動向も重要です。
菅代表は、フランスやドイツなどを訪問して、両国政府首脳などと情報交換をするというアクションも検討すべきではないでしょうか。
日本が第二次世界大戦から学んだことは、「戦争を始めるのは容易でも、終わらせるのは難しい」「武力行為は武力行為を招くだけである」ということでした。したがって、「国際紛争の解決には武力を用いない」ということです。
「歴史に学ばない者は、いつの世も愚者だ」との言葉を忘れてはいけません。
12月14日(日)号
山田耕作に想いをはせて
中学時代の同窓生、湯浅卓雄さんは指揮者です。イギリスを本拠地に、世界的に活躍。先日、久しぶりの帰国にあわせて、後援会が開かれました。
席上、湯浅さんが指揮をして録音された山田耕作の交響曲に話が及びました。山田耕作は、「赤とんぼ」や「からたちの花」などで有名ですが、日本人最初の交響曲を作曲したことでも有名だそうです。1910年にドイツに留学した後に書いた曲とかで、タイトルは「かちどきと平和」。
時代は明治の終わりごろ、日露戦争から日韓併合へと、日本が軍国主義の道を突き進んだ時代です。どんな思いで、山田耕作は作曲し、タイトルを付けたのでしょうか。「この道は、いつか来た道」。山田耕作の歌が口をついて出てきました。
小泉内閣、イラク派遣を決定
小泉総理は、世論の反対を押し切って、自衛隊のイラク派遣を決定しました。殺し合うこともありうると総理が答弁するような事態のなか、自衛隊員が人に向けて発砲する。それはPKOやPKFなどの国連活動とまったく性格を異にします。
石破防衛庁長官は、現地での活動に向けて「訓練する」としていますが、日本国内での訓練がいかほどの成果をもたらすのでしょうか。悪夢が現実のものにならないとは限りません。
もう一点気になることは、撤退の時期です。政府は派遣時期にこだわっていますが、いつ、どのような状況になれば撤退するのでしょうか。ブッシュ政権の思惑通りに政権移譲ができなかったり、イラク情勢がさらに悪化したりすれば、派遣されている自衛隊は、どうなるのでしょうか。
日本は、いま大きな曲がり角に立っています。15、16日と衆参両院で行なわれる国会審議が極めて重要です。