山本孝史のプロフィール
参議院議員時代
2001年(平成13年)
- 7月
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参議院にチャレンジ 参議院大阪選挙区から立候補し初当選。直前5月に発足した小泉総理が圧倒的な支持を集めるなか、力いっぱいの選挙戦を展開。3位ながら、民主党として参議院大阪選挙区の初議席を確保した。
国会では参議院厚生労働委員会に所属。医療制度や年金制度の改革に再び取り組むことになった。
2003年(平成14年)
- 11月
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与野党の年金改革合同会議で 民主党新緑風会幹事長に就任。役員選考委員が役員に指名されるという予想外の展開。藁科会長、今泉国対委員長に支えられて、慣れない党務に取り組んだ。
国会では年金改革議論をリード。小泉総理に「マクロ経済スライドをご存知か?」と聞けば、「経済の専門家に聞いてくれ」と答弁され、驚いて椅子にひっくりかえった。年金未納問題もあって、04年参院選で民主党は躍進。幹事長として一番重要な仕事を果たせてホッとした。
国会審議の現場に戻して欲しいとお願いして、民主党新緑風会幹事長を辞任。再び、政策で頑張ることになった
2005年(平成17年)
- 10月
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財金委員長初仕事 参議院財政金融委員長に就任。一度、委員長も経験してみたいと考えたのが間違いだったのか、厚生労働の諸問題に加えて、仕事が予想以上に増えてしまった。
- 12月22日
- 自宅近くの胃腸科病院での検査受診をきっかけに、胸腺がんが見つかる。
2006年(平成18年)
- 1月
- 国会運営に支障をきたしてはいけないので、参院財政金融委員長を辞任。
治療を続けながら、参議院での健康保険法等改正案の審議に備え勉強。民主党は「がん対策基本法」を提出する方針を定め、4月4日に法案を衆議院に提出。
ずっと準備してきた「自殺対策基本法」の参院提出と法案成立めざし、各党への働き掛けも急がなければならない。国会閉会日や自分の体調など、さまざまな意味で「時間との競争」だと感じていた。
- 5月22日
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参院本会議で「がん患者」公表。がん対策基本法成立を訴える 参院本会議での健康保険法等改正案の代表質問を行なう。がん患者であることを公表し、がん対策基本法の制定を訴えた。三浦捷一医師や新田義昭さん、佐藤均さんら、自らがんと戦いながらがん医療の向上に取り組んでこられた先輩患者から「戦いのバドン」が渡されたような気がした。がん患者となったのも天が与えた「使命」なのだろう。
国会の実質的な閉会日となった6月16日、がん対策基本法が参院本会議で可決され成立。自殺対策基本法も、6月15日、衆院本会議で可決成立した。参院厚労委での採決を見守る 参院厚労委での採決
11月1日国会がん患者と家族の会設立 事務局長に11月25日「最善の抗がん剤治療を受けたい!」と題し講演
2007年(平成19年)
- 7月
参議院選挙 民主党比例区で当選
- 8月
- 入院 日本のがん医療への提言「救える「いのち」のために」を病院で執筆
- 12月20日
- 日本のがん医療への提言「救える「いのち」のために」完成。翌年1月発行
- 12月22日
- 胸腺がんのため都内の病院で死去。享年58歳